資料区分 マイクロ
請求番号 PF8408
文書群名 安中藩板倉家家中藤田家文書
伝存地 安中市
出所 安中市 藤田家
役職等 安中藩士(板倉家家臣)。文政8年「近江商人より御用金約定証文」(『安中市史』第5巻・近世資料編には郡奉行あるいは勝手掛・郡奉行として藤田仁右衛門の名前が見え、また安政4年「江戸安中諸士席順役録」(『安中市史』同上)では、江戸詰給人・藤田専造(高50石、内3人扶持、本給10人扶持、御勘定役・御領知掛見習・御家具預り)の名がある。明治期には藤田穎(弘化2年生)が養父政裕(文政4年生)の隠居により明治10年に家督を相続し、明治13年に修史館御雇、明治28年に帝国博物館書記、明治33年に史料編纂助員を歴任した。穎の長男清(明治10年生)は明治30年に1年志願兵として入隊している
歴史 安中藩は、井伊直政の長男で彦根藩主の井伊直勝が元和元年に3万石で入封して立藩、以来、領主の交代は頻繁で、正保2年に水野元綱(2万石)、寛文7年に堀田正俊(2万石)、天和元年に板倉重形(第1次、1.5万石)、元禄15年に内藤政森(2万石)、そして寛延2年には板倉勝清(第2次、2万石)が入封し、以後、第2次板倉家は明治維新まで6代続いた。藤田家はこの板倉家の家臣として仕え、文書中には政幸・専右衛門・仁右衛門・専造らの名前が散見し、郡奉行や勘定奉行等の重職を歴任したようであるが、同家の由緒・系譜等が存しないため、その詳細は定かではない。
伝来 本文書群は元来、安中藩士族の藤田家に伝来したものである現在は、田口栄氏の収集により群馬県立文書館へ寄託されている。
数量 349
年代 近世~近代(元禄10年~明治43年)
構造と内容 本文書は、同家が江戸時代に安中藩板倉家家臣として作成又は収受した文書群と明治期以降の文書から構成されている。江戸期の文書は必ずしも多くないが、藤田家が郡奉行や勘定奉行等を歴任したり、江戸藩邸に詰めていた際の文書・記録類や藩主板倉家関連の系譜などが多くを占める。また中山道碓氷関所の関連文書も散見する。一方、明治期以降の文書では藤田穎・清父子の代の日記・金銭出納簿などが比較的まとまった史料であるが、なかでも、藤田穎が明治中期に修史館や帝国博物館に勤めていた際に記した日記・記録類は本文書の一つの特徴を示すものでもあり興味深い史料である。
検索手段 安中藩板倉家家中藤田家、田口栄氏収集文書(P9510)、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 田口栄氏収集文書(藤田家文書、P9510)は本マイクロ資料での閲覧とする。ただし、本文書は上記の田口栄氏収集文書の中の約3分の1をマイクロ撮影したものであり、残り3分の2の文書については、目録作成と点検が済み次第、現物で公開する予定である。
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