資料区分 |
マイクロ |
請求番号 |
PF8606 |
文書群名 |
北群馬郡伊香保町 千明仁泉亭文書 |
伝存地 |
北群馬郡伊香保町(現渋川市) |
出所 |
渋川市(旧伊香保町) 千明仁泉亭(千明三右衛門) |
地名 |
群馬郡伊香保村/群馬郡伊香保村(明治4年~)/群馬郡伊香保村(明治6年~)/西群馬郡伊香保村(明治11年~)/西群馬郡伊香保町(明治22年~)/群馬郡伊香保町(明治29年~)/北群馬郡伊香保町(昭和24年~現在) |
旧支配 |
幕府領(寛永9年~) |
役職等 |
伊香保「大家」 |
歴史 |
千明家は、江戸時代、伊香保温泉の小間口権(引湯権)を所有していた「大家」14軒の1つである。伊香保村は中世末、白井の城主長尾氏の配下にあり、近世に入ると箕輪城主井伊氏の支配となった。この過程で大家14件の身分と引湯特権が確定し、名主以下の村役を独占した。これに対して、家来筋にあたるのが「門屋」と「店借」であり、伊香保特有の階層構成を生み出した。大家は中世以来の地侍の系譜をもち、なかでも千明氏は、伊香保でもっとも古いとされている。千明氏の系譜で明らかになるのは千明出羽守孫三郎左衛門からで、元禄から宝永頃より三右衛門を名乗るようになり、天明の頃一時左内を名乗った以外は、代々三右衛門を襲名し明治に至っている。明治期には戸長も勤めている。また、桶普請改めの定役であり、「小間口」(温泉の取り入れ口)の竪分(縦・高さ)を決める「定盤木」を管理し、温泉沸き出し口8ヶ所の内、4ヶ所を所有した。他の半分はその他の大家の共有であった。大家は上組(6軒)と下組(8軒)に別れ、千明氏は下組に属しているが、両組の間では引湯をめぐる争が絶えなかった。一方、大家・門屋の間では、主従関係から享保頃より出入が繰り返されている。明治期になると江戸時代を通じて固守されてきた大家・門屋の階級制度も大きく変っていく。明治23年には伊香保に御用邸が設置され、文豪徳富盧花は『不如帰』の執筆を千明仁泉亭で行い、昭和2年ここで永眠している。 |
伝来 |
千明家に伝来保存 昭和61年11月借用し文書館にて撮影。 |
数量 |
541 |
年代 |
天正14年(1586)~昭和14年(1939) |
構造と内容 |
本文書は、千明家の温泉経営や家政に関する史料が中心である。①近世文書としては大家・問屋の主従関係を記す文書が多数を占めている。他に、「伊香保村御縄打帳」慶長6(1601)年、「御年貢割帳」慶 安2年~延宝3(1649~1675)年、「伊香保村口留番所普請仕立形帳」文化2年(1805)、「借用金証文」等がある。②明治以降の文書としては、温泉件や千明家の温泉経営に関する文書・千明家の私的文書である。温泉経営の通帳(明治12~大正7年)、地所・温泉売渡証、他第百十九国立銀行の辞令(明治19~38年)、徳富健一朗書簡(封書・葉書33通)、日記等がある。③文化関係では、『宗祇終焉記』(写)など連歌師宗祇や、『仁泉亭記』『上州伊香保温泉志』とその著者である漢学者吉田芝渓に関する文書、他『日本鉱泉論』ベルツ著、『伊香保志』巻1・2・3大槻文彦著、『上野名跡志』富田永世著、伊香保温泉名所図等がある。 |
検索手段 |
北群馬郡伊香保町千明仁泉亭文書目録、インターネット検索目録 |
関連資料 |
『伊香保温泉史料集』(北條浩編)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |