資料区分 マイクロ
請求番号 PF8804
文書群名 兵庫県姫路市熊谷家文書
伝存地 兵庫県姫路市
出所 兵庫県姫路市 熊谷家
旧支配 前橋藩酒井家/姫路藩酒井家
役職等 【近世】酒井家家臣(前橋藩・姫路藩)。弓場始御用、写物御用、書院番、御物頭、御側用人、奏者番、勘略奉行など。【近代】内務省(明治10年~17年頃)・逓信省兼務(明治17年頃~)/東京逓信管理局次長(明治21年ごろ)/函館逓信管理局次長(明治22年頃)/大坂郵便電信局長(明治26年~)/名古屋郵便電信局長(明治28年~)
歴史 熊谷氏は源頼朝に仕えた熊谷次郎直実末裔の安芸熊谷氏でのちに若狭国に移ったようである。(32/115)。熊谷家が前橋藩主酒井家に仕官したのは、寛永3年(1626)熊谷四郎兵衛道雄の代からである。京都所司代板倉周防守の推挙があったとされる。▼寛延2年(1749)には酒井氏の姫路転封に随行し、明治に至るまで家禄500石をもって仕えた。荻野流砲術や林崎流居合の世話役など武芸をもって仕えたようである。勤書などからは江戸や京都で勤務したことがわかる。▼明治維新を迎えた熊谷家当主の薫郎氏は内務省に勤務し、旧鳥取藩士松田道之に属して琉球処分(№968-2)に係わる。明治17年頃から逓信省にも所属して、東京・函館・大阪・名古屋などの主要な郵便電信局長を歴任した。退職後は姫路淑女学校や姫路商業学校の創設者の一人となり、地元姫路市の教育に尽力したという。
伝来 熊谷家(現当主熊谷次郎氏)は、寛永3年(1626)四郎兵衛道雄の代に前橋藩酒井家に仕え、その後酒井家の姫路転封に随行し、家禄500石にて代々物頭・側用人・奏者番・奉行等の要職を歴任した家柄である。 伝存文書1300点は、既に姫路市史編纂室が調査、目録を刊行(『姫路市史編集資料目録集』第24集所収)し、同家の土蔵2階に茶箱九箱に収納、保存されている。熊谷家文書のほかに湯本家から伝来したと思われる中世~近世初期の古文書がある。湯本家はもともと草津の在地領主で真田氏を通じて甲斐武田氏に従った。主家滅亡後は真田氏に仕えたが、天和元年(1687)の沼田藩改易後浪人となった。ある時期に妻を湯本氏から迎えており、その際に熊谷家に伝来したのであろうか。
数量 1957
年代 建久4年(1193)~明治41年(1908)
構造と内容 文書の内容は、代々の役職に関連する藩方の文書、兵学・測量・諸国城絵図、漢詩・和歌等の和書、明治期以降の近代文書などを含むが、前橋時代のものは必ずしも多くない。▼ただし、同家と縁戚関係にあった吾妻郡草津村の真田家臣湯本家文書、熊谷家を含む酒井家臣の諸家譜、そして寛文4年(1664)上野国絵図調製に係る前橋領内測量日記「国図要禄」等がある。この「国図要禄」は山田叔子が群馬県立文書館紀要『双文』第7号で翻刻し紹介した。▼なお、マイクロ収集に当たっては武鑑・典籍類など一部撮影を省略したものもある。▼【第二次公開分(№2~181、№798-1~804、№1074-1~1108)】次の3つに大別される。①熊谷家が代々勤めてきた御物頭・奏者番などの勤務心得や日誌など。文政期の姫路藩酒井家の職制・席順・禄高が窺える(28/88、29/97)。老中を務めていた酒井家の写物御用を勤めていたからであろうか、姫路藩政だけではなく、ペリー来航に際してアメリカ大統領国書の写(32/118)など幕政に関わる資料も筆写されていることは興味深い。ほとんどが姫路時代で前橋時代の資料は少ないが、 熊谷家だけではなく妻の実家についての家譜が多く残されており、前橋時代の熊谷家の歴史も窺うことができる。▼②「寛文上野国絵図」作成覚帳である「國圖要録 全」(105/801)など。▼③湯本家から伝来の中世~近世初期文書。中世文書は天正10年(1582)前後の徳川家康や真田昌幸などの書状が多い。甲斐武田氏滅亡後の信濃・上野をめぐる動乱(天正壬午の乱)の時期であり、非常に貴重である。▼近世初期では真田信之とその岳父本多忠勝や榊原康政などの判物(花押を据えた書状)が存在する。▼【第三次公開分】①近世文書▼・熊谷道雄の書簡、雑録。熊谷家の系譜・過去帳など。上野国絵図関係(№749・774)の記述も存在する。▼・全国各地の古城図(№466~537)や軍制・兵学関係の書付。№829は前橋時代の酒井家の軍役がわかる貴重な資料である。▼・このほか№879には「(前略)天和年中咸休院殿御代新田ニ被仰付天川分天川原田畑是也由、二子山・かくら山・土取山・藤山其林ノ残之由」という記述があり、酒井忠挙の時代に林であった天川原を開拓し、新田開発が行われたことが窺われる。その残った林が二子山古墳など数ヶ所の現存する古墳のようである。▼②近現代文書▼・職業関係(内務省・逓信関係)書簡・辞令・命令書など(№961~998など)。▼・旧主酒井家に関する史料‥‥公債証書・姫路神社移設・旧臣顕彰碑建など。▼・松田道之に関する史料‥‥滋賀県令・琉球処分(№968-2、971など)・東京府知事・追悼文など。▼・教育関係史料‥‥姫路淑女学校設立関係など。▼・書簡‥‥前島密(№548-29~-32)、北垣国道(北海道庁長官、№550-1~-8)など政府高官とのやりとりが多く、また上記の関係で酒井家旧臣とのやりとりも多い。
検索手段 兵庫県姫路市熊谷家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 同じ酒井家の資料として前橋藩酒井家資料(PF816)、前橋藩酒井家文書(PF821)。▼ほかに熊谷次郎家文書(HA-28-2中世)、第二次公開分③を影写した資料として中澤晁三家文書(H65-3中世)、山田叔子「姫路市熊谷家文書「國圖要録 全」-寛文四年上野国絵図作成覚帳-」(群馬県立文書館紀要『双文』VOL.7 1990)。▼【参考文献】『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など。
利用上の留意点 第二次公開分の③は折紙が多く、しかも分割撮影され順序が乱れている。同一資料群である県史複製資料熊谷次郎家文書(HA-28-2中世)は文書の全体が撮影されているので、閲覧・複写は県史複製資料をお薦めする。「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
先頭に戻ります。