資料区分 マイクロ
請求番号 PF9101
文書群名 多野郡鬼石町 城聞家文書
伝存地 多野郡鬼石町(現藤岡市)
出所 藤岡市(旧鬼石町) 城聞家
地名 緑野郡三波川村/多野郡三波川村/多野郡鬼石町大字三波川
旧支配 幕府領
歴史 城聞家は、幕末まで新井姓であったが明治初年理市のとき、それまで屋号として通称されてきた城聞に改姓したようである。城聞の姓は、同家の近くにあった真下城のことを聞いた武士が、同家を城聞と名付けたことによるという。理市の子幸平は早くから養蚕業の改良を思い立ち、明治一二(一八七九)年養蚕改良競進社へ加盟、明治二七(一八九四)年甘楽社鬼石支部の設立に尽力した。また、明治二八(一八九五)年には女子労働鬼石社を、明治三一(一八九八)年には養蚕伝習所を設立して、飼育法の改良・養蚕技術者の養成を図り、本県養蚕業の発展・後継者育成にも大きく貢献している。そのほか、繭蚕糸蚕種等府県の共進会・品評会に数多く出展・入賞し、その優秀さを証明されている。大正一二(一九二三)年城聞家へ入籍した力も、幸平の跡を継ぎ、競進社・群馬社に籍を置き蚕種製造養蚕経営を行ったが、昭和二一(一九四六)年蚕種製造を廃業した。その後、三波川農業協同組合理事・三波川村議会議員などを務め、三波川村の農業発展に貢献した。
数量 1747
年代 元禄5(1692)年~昭和8(1933)年
構造と内容 本文書は、明治10年代から大正初期にかけての文書が中心で、①女子労働鬼石社・養蚕伝習所関係文書及び鬼石社社長城聞幸平に関係する文書・書簡類②養蚕結社に関する文書③江戸時代からの城聞家の私的文書類などがある。①には明治35(1902)年「女子労働鬼石社沿革」、明治34年(1901)「生徒募集広告」、明治31年(1898)「蚕種製造届書」、明治34年「一府十一県共進会出品人名簿」のほか、「女子労働鬼石社社則」「伝習願」「飼育日誌・養蚕日誌」「蚕種製造控」「品評会経費出納簿」などがある。②には明治30年(1897)からの「高山社同窓会報」や「競進社社則」などの高山社・競進社に関する文書、明治34年から明治41年(1908)の「甘楽社決算報告」「甘楽社社則」ほかの甘楽社に関係する文書などがある。③には江戸期の借用証文・質地証文類があり、ほかに明治9年(1876)「三波川村地主惣代任命状」、「金銀出入帳」などがある。
検索手段 多野郡鬼石町城聞家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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