資料区分 マイクロ
請求番号 PF9102
文書群名 藤岡市高山高山家文書
伝存地 藤岡市高山
出所 藤岡市 高山家
地名 上野国緑野郡高山村/岩鼻県緑野郡高山村(明治元年)/群馬県緑野郡高山村(明治4年)/熊谷県緑野郡高山村(明治6年)/群馬県緑野郡高山村(明治9年)/群馬県緑野郡美九里村大字大字高山村(明治22年)/群馬県多野郡美九里村大字高山村(明治29年)/群馬県多野郡美九里村大字高山(大正6年)/群馬県藤岡市大字高山(昭和29年~現在)
旧支配 幕府領/旗本領(筒井氏、元禄11年~)/岩鼻県(明治元年)/群馬県(明治4年)/熊谷県(明治6年)/群馬県(明治9年~)
歴史 高山家は、高山三郎重遠(平良文を祖とする)を祖とする武士であり、平井城主上杉氏をはじめ武田氏・北条氏などに仕えたが、江戸時代に帰農したようである。▼天保元(1830)年緑野郡高山村に生まれた長五郎は、幕末期から養蚕飼育法の工夫・研究を行い、明治初年には清温育法という飼育法を発見した。▼また、養蚕技術の普及啓発に務め、明治3(1870)年に高山組を、明治17(1884)年に高山社を設立して、養蚕飼育法を伝授した。▼なお高山社は、優秀な門弟を授業員(教授員)として他所へ派遣し指導させ、その教えを受けたものを社員とするとともに組織を拡大し、明治34(1901)年には私立高山社蚕業学校となっている。
伝来 1991年・1992年群馬県立文書館にて撮影。高山家より群馬県立歴史博物館へ寄贈。
数量 1197
年代 明治3年(1870)~昭和24年(1949)
構造と内容 本資料は、①高山社に関する資料、②明治10年代以降の養蚕に関する資料である。▼①には明治15(1882)から大正10年代の「養蚕日誌」、明治21(1888)年から大正13(1924)年の「高山社授業員派遣地一覧」、明治20(1887)からの「高山社入社願」、明治21年から昭和10年代の「養蚕注文配布帳」、明治29(1896)年から明治43(1910)年の「高山社同窓会報」のほか、「高山社養蚕法案」「養蚕改良高山社規則」などがある。▼②には明治15年「共進会出品書綴」、明治18(1885)年から明治21年の「農商工公報」、「繭・生糸・織物七県連合共進会出品目録」のほか、「養蚕適要」「養蚕秘術」「続養蚕新論」などの養蚕に関する版本類、蚕糸業関係の雑誌がある。
検索手段 藤岡市高山高山家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 『群馬県立歴史博物館所蔵資料目録 高山社・蚕業学校関係資料』など。当館の複製資料として「高山吉重家文書」(中世、近世、近現代)。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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