資料区分 |
マイクロ |
請求番号 |
PF9405 |
文書群名 |
利根郡片品村永井順一家文書 |
伝存地 |
利根郡片品村針山 |
出所 |
利根郡片品村 永井家 |
地名 |
上野国利根郡針山新田/岩鼻県利根郡針山新田(明治元年)/群馬県利根郡針山新田(明治四年)/熊谷県利根郡針山新田(明治六年)/群馬県利根郡針山新田(明治九年)/群馬県利根郡片品村大字針山新田(明治二二年)/群馬県利根郡片品村大字針山(大正六年~現在) |
旧支配 |
沼田藩領/幕府領/旗本領 |
歴史 |
紺周郎は、天保2年(1831)針山新田に生まれた。追貝村の養蚕農家星野家からいとを妻に迎え、夫婦揃って蚕の病気や飼育法について研究し、養蚕飼育法紺周郎流を考案するなど、養蚕技術の開発・指導を行った。その結果、明治5年(1872)熊谷県から蚕種検査・養蚕見廻役を命じられ、明治15年(1882)には利根北勢多郡役所から勧業世話役を命じられた。明治21年(1888)、紺周郎亡きあと妻いとは県から紺周郎流養蚕伝習所の開設を許可され、息子文作(二代目紺周郎)とともに養蚕の実地指導・紺周郎流の教示に力を尽くした。明治44年(1911)紺周郎の孫紺周良が三代紺周郎と称し、父祖の遺業を継ぎ養蚕の発展に尽力した。 なお紺周郎流飼育法とは、戊辰戦争時の官軍のたき火によって病蚕が健康となって好結果を得たことをヒントに考案された「いぶし飼い」という飼育法である。 |
伝来 |
1994年群馬県立文書館にて撮影 |
数量 |
86 |
年代 |
天保4年(1833)~昭和15年(1940) |
構造と内容 |
本文書は、①永井紺周郎流に関する文書、②永井家私的文書である。①には、門人によって書かれた「永井流養蚕術傳記」、明治20年代から明治40年代にかけての「春夏秋養蚕飼育方法人名簿」、「養蚕伝習所入所願い」「教示員証」などがある。②には、明治11年(1878)「村誌(利根郡針山新田)」、「利根郡片品村会会議規則」、諸証文類などがある。 |
検索手段 |
利根郡片品村永井順一家文書目録、インターネット検索目録 |
関連資料 |
(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |