資料区分 マイクロ
請求番号 PF9406
文書群名 甘楽郡下仁田町 勅使川原文江家文書
伝存地 甘楽郡下仁田町本宿
出所 甘楽郡下仁田町 勅使川原文江家
地名 甘楽郡西牧領/甘楽郡本宿村(延宝6年~)/岩鼻県甘楽郡本宿村(明治元年~)/第一次群馬県甘楽郡本宿村(明治4年~)/第二十二大区第十小区(明治5~11年)/熊谷県甘楽郡本宿村(明治6年~)/甘楽郡西野牧村本宿(明治8年~)/第二次群馬県甘楽郡西野牧村本宿(明治9年~)/北甘楽郡西野牧村本宿(明治11年~)/北甘楽郡本宿村(明治15年~)/北甘楽郡西牧村大字本宿(明治23年~)/甘楽郡西牧村大字本宿(昭和25年~)/甘楽郡下仁田町大字本宿(昭和30年~現在)
旧支配 徳川氏代官支配(天正年間)/幕府代官・関東郡代支配(慶長8年~)/岩鼻県(明治元年~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 甘楽郡本宿村村役人、同村上組名主(名主組頭兼)、商人宿「ゑびすや(蛭子屋)」経営など
歴史 本宿村は、近世、上信国境を越える峠道(和美峠越・内山峠越)の分岐点であり、付近一帯の交通拠点であった。▼中山道の脇往還である下仁田道は、中山道本庄宿を起点として下仁田より北路と南路に分岐するが、西牧谷を通過する北路に本宿村があった。▼この北路は、信濃佐久米の輸送路としても使用され、本宿村は活況を呈していた。▼文禄2年、藤井村境に西牧関所が設置されると、本宿村が関所の維持・管理に当たった。▼勅使川原家は、江戸時代本宿村で「ゑびすや(蛭子屋)」の名称で商人宿を営むかたわら、村役人を務めていた。▼代々三左衛門を襲名し、嘉永3~安政5年に本宿村上組名主(名主組頭兼)に就任していた。
伝来 甘楽郡本宿村の村役人を務めた勅使川原家に伝存した文書群。▼勅使川原家の蔵に収蔵されていたが、火災に遭っており、ほとんどの文書に焼損が見受けられ、欠損部分がある文書も多い。
数量 550
年代 延宝6年(1678)~明治6年(1873)
構造と内容 本文書は、①本宿村関係文書512点(行政、村況・戸口、土地・金融、年貢・諸役、寺社、治安・事件、交通・産業)と②勅使川原家私的文書(土地・金融、生活)に大別できる。▼①の大部分は、村役人を務めたことで作成・収受・引継したと考えられる文書である。特に訴訟関係がまとまって伝存している。▼②には質地証文の他、商人宿に関わる奉公人請状などが含まれる。
検索手段 『群馬県立文書館収蔵文書目録 22 甘楽・富岡地区諸家文書(1)』、インターネット検索目録
関連資料 同じ下仁田町本宿の古文書として「神戸金貴家文書」(P8213)。▼ほかに『群馬県史』通史編4・5、『上野国郡村誌』8、『諸国道中職人鑑』(みやま文庫)、『下仁田町史』など。▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 勅使川原文江家文書(P8115)は本マイクロ資料での閲覧とする。▼「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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