資料区分 |
マイクロ |
請求番号 |
PF9601 |
文書群名 |
吾妻郡嬬恋村鎌原忠司家文書 |
伝存地 |
吾妻郡嬬恋村 |
出所 |
吾妻郡嬬恋村 鎌原家 |
地名 |
上野国吾妻郡鎌原村/岩鼻県吾妻郡鎌原村(明治元年)/群馬県吾妻郡鎌原村(明治四年)/熊谷県吾妻郡鎌原村(明治六年)/群馬県吾妻郡鎌原村(明治九年)/群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原村(明治二二年)/群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原(大正六年~現在) |
旧支配 |
沼田藩領/幕府領 |
歴史 |
鎌原家は、清和天皇の第五皇子貞元親王が滋野姓を賜り信濃国司として信濃国小県郡海野荘に住んだことに始まり、その子孫海野幸兼が鎌原に居を構え鎌原を名乗ったという。中世には三原荘を政治・武力面で統治し鎌原城を築き、天正18年(1590)には沼田の真田信幸に仕えている。天和元年(1681)真田信利改易の際には、鎌原縫殿重継は家老として沼田城請渡しの役をつとめ、その後は明治維新まで西窪家・横谷家・栃原家らとともに代々大笹の関所番役人をつとめている。明治時代以降、司郎は村会議員や郡会議員をつとめるとともに、明治30年代には蚕種の製造販売も手がけ、嬬恋館を経営していた。 |
伝来 |
1996年群馬県立文書館にて撮影 |
数量 |
504 |
年代 |
寛文3年(1663)~昭和9年(1934) |
構造と内容 |
本文書は①大笹関所に関する文書②鎌原家私的文書③嬬恋館関係文書である。①には寛文3年(1663)「大笹関所関所沙汰書」、嘉永3年(1850)「大笹関所一件帳」、宝暦5年(1755)「鎌原家・横谷家・栃原家由緒書」のほか「諸国御関所女改方控」「大笹関所手控」などがある。②には弘化3年(1846)「真田信濃守様御通行始末書」、明治10年(1877)「鎌原誌(鎌原村沿革他)」、嘉永6年(1853)年鎌原縫殿による「信州松代逗留手控」、弘化3年「信州松代行萬日記」などがある。③には明治38年(1905)から大正13年(1924)にかけての嬬恋館の注文帳及び養蚕日誌や嬬恋館に関わる絵はがき類がある。 |
検索手段 |
吾妻郡嬬恋村鎌原忠司家文書目録、インターネット検索目録 |
関連資料 |
(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |