資料区分 マイクロ
請求番号 PF9802
文書群名 勢多郡赤城村藤川正衛家文書
伝存地 勢多郡赤城村(現渋川市)
出所 渋川市(旧赤城村) 藤川家
地名 勢多郡持柏木村/南勢多郡持柏木村(明治11年)/勢多郡横野村大字持柏木村(明治22年)/勢多郡赤城村大字持柏木村(昭和31年)/渋川市赤城町持柏木(平成18年)
旧支配 前橋藩領/前橋県/入間県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 持柏木村年番名主(四郎右衛門、文政6年、7年)
歴史 持柏木(もちかしわぎ)村は柏木とも通称される。往古は柏木だったが、元禄2年(1689)藩主から持の字を冠せられたという(『郡村誌』)。村高は、寛文郷帳では122石余のうち田方97石余、畑方24石余。天保郷帳・旧高旧領帳ともに148石余。寛延2年の村銘細帳によれば144石余。反別は田11町余、畑28町余。ほかに新田高3石余。家数57軒、人数225人、馬11匹。明治10年頃の民業は農・桑業43戸、薪炭業4戸(以上男子)、養蚕・製糸業35人(女子)。繭・生糸を産し、前橋へ出荷。同年頃藤川清作が主唱者となり、柏木舎(社)を創設し、横浜の同伸会社を通して輸出を行った。藤川家の姓は、以前は草葉姓であったが、前橋藩より与えられたと伝えられている。
伝来 平成10年(1998)6月藤川正衛家より古文書を借用し、文書館にて撮影後、マイクロフィルムに複製する。
数量 787
年代 元禄2年(1689)~昭和5年(1930)
構造と内容 本文書は、①持柏木村関係文書 ②藤川家私的文書に分類できる。①持柏木村に関する文書は少なく、新田検地帳(元禄2年、宝永8年)などがある(№11、529、530)。②土地や金銭に関わる借用証文類(安永期~明治期)、明治期は田小作証文などが多い。奉公人請状(天保期~明治初期)は30点程ある。蚕糸関係文書は、柏木舎(社)関係のものを含め100点ほどあり、「柏木社規約」(№184、明治15)や「廃舎届」(№1223、明治20)、「柏木舎商標」(№739)などがある。ほかに前橋藩の大渡橋改修や前橋城再築事業に際し寄付を出していることなどを記した「当家吉凶記録帳」(№1、2)がある。道中日記(№9、10、嘉永4年)は、往路は中山道、復路は東海道を利用し伊勢、奈良、高野山、金比羅方面を参詣している(12月15日~2月27日)。
検索手段 勢多郡赤城村藤川正衛家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 持柏木村区有文書(H12-1-1近世)、藤川栄一家文書(H12-1-2近現)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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