| 資料区分 | 古文書 | 
| 請求番号 | P01209 | 
| 文書群名 | 神保忠史家文書 | 
| 伝存地 | 中之条町岩本 | 
| 出所 | 中之条町 神保忠史家 | 
| 地名 | 上野国吾妻郡原岩本村(延宝3年蟻川村より分村『郡村誌』)/群馬県吾妻郡伊参村大字原岩本(伊参村は明治22年、原岩本・五反田・蟻川・大道新田の4ヶ村と合併)/群馬県吾妻郡伊参村大字岩本(大正6年)/群馬県吾妻郡中之条町大字岩本(昭和30年)/群馬県吾妻郡中之条町岩本(平成22年) | 
| 旧支配 | 幕府領/幕府領と旗本大久保氏領との相給(文化8年) /御三卿清水家領と旗本大久保氏との相給(文政7年)/幕府領と旗本大久保氏領との相給(安政2年)/岩鼻県(明治元年)/群馬県(明治4年)/熊谷県(明治6年)/群馬県(明治9年) | 
| 役職等 | 村役人(名主・組頭・年寄) | 
| 歴史 | 地名の由来は、西北の方角に屏風を立て巡らしたような岩山があり、その山に抱かれた場所に位置することによると伝えられる。蟻川村と一村であったが、延宝3年に分村し原岩本村となった。▼村高は「元禄郷帳」451石余、「天保郷帳」「旧高旧領帳」ともに460石余。幕末の改革組合村高帳では中之条町寄場組合に属す。家数115。▼神保家は名主などの村役人を務め、家業では、江戸後期から明治期にかけ吾妻周辺の山々から材木を伐り出し、江戸深川へ送り、材木業を生業とした。▼現在の「神保家住宅」(中之条町岩本)は、2000年に中之条町指定文化財に、2017年に群馬県指定文化財に登録された。 | 
| 伝来 | 平成24年11月神保忠史家より寄贈される。 | 
| 数量 | 6417 | 
| 年代 | 寿永3年(1184)~昭和20年(1945) | 
| 構造と内容 | 文書類は、神保家に伝存した近世から近現代に至る原岩本村の村政および神保家の家政資料が中心。▼村方関係文書には、貞享3年の検地帳「上野国吾妻郡蟻川村之内原岩本御検地水帳」(№923~925)。村明細帳では、宝暦4年の明細帳「村柄様子明細帳下書」(№495)、明和7年の「村差出明細帳 扣」(№496)など。▼神保家の家政資料のなかでは、天保年間から明治30年代にわたり、材木の伐出しや川下げ、江戸深川の材木商との関係を示す資料が多い。明治期中期以降中之条町に神保商店を開き、書籍や茶などを商っていた(神保書店)。▼昭和10年代頃の出版社の広告、内容見本などがある。▼典籍では地方書の『地方秘傳集』・『田園類説』類。ほかに雑誌などの「販売掲示用ポスター」、書状・書簡・葉書などの私信類800余点、地券およそ330点。▼盛岡高等農林学校に進んだ人物がおり、農業の資料のほか、同校の学生による文芸誌などもある。 | 
| 検索手段 | 神保忠史家文書目録、インターネット検索目録 | 
| 関連資料 | 同地区の「神保彦憲家文書」(『群馬県史収集複製史料目録』第3集に掲載、請求番号H60-11-1近世) | 
| 利用上の留意点 | 群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |