資料区分 古文書
請求番号 P1806
文書群名 赤石幸夫氏収集文書
伝存地 群馬県
出所 新規分:碓氷郡中野谷村(現安中市中野谷)
地名 新規分:碓氷郡中野谷村(近世初期~)/碓氷郡東横野村大字中野谷(明治22年~)/碓氷郡安中町大字中野谷(昭和30年~)/安中市中野谷(昭和33年~現在)
旧支配 新規分:幕府領(近世初期~)/総社藩領・前橋藩領、旗本小幡氏領・河田氏領・吉良氏領の相給(寛永年間 1624~1644~)/幕府領と旗本小幡氏領・河田氏領・石丸氏領・小笠原氏領の相給(天明5年~)/本村は岩鼻県、新田は前橋藩領(明治元年~)、新田は前橋県(明治4年7月~)/本村・新田とも第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年)/第二次群馬県(明治9年10月)
歴史 新規分:近世・中野谷村の村高は、「寛文郷帳」634石、うち田方302石余・畑方332石余。▼「元禄郷帳」635石余、「天保郷帳」「旧高旧領」では673石余、中野谷新田63石余。▼元禄10(1697)年中山道松井田宿大助郷16か村の一つとなり、のち定助郷村となった。▼寺社には、真言宗清元寺、熊野大神・諏訪明神(現中野谷神社)・羊神社があった。
伝来 【新規分】第廿一大区三小区碓氷郡中野谷村(現群馬県安中市中野谷)伝来の資料を赤石氏が収集した。【追加分】赤石幸夫氏により購入・収集された文書群
数量 58
年代 【新規分】5点とも明治10年(1877)3月 【追加分】安永4年(1775)3月~昭和14年(1939)3月
構造と内容 【新規分】本文書群は、明治初期(大区小区制期)の碓氷郡中野谷村に関する文書「収穫地価取調帳」(明治10年3月)5点(第1号~第4号、第6号)である。▼第1号(№1)は、小字人見境、上北原、正古原、上砂押、向砂押、原、西北原、加賀塚、北原、甲北原、乙北原、松原、天神原、天神林。▼第2号(№2)は小字中嶌、西中嶋、砂押原、西砂押、大上原、上原、湯ノ入、白谷戸、西向原、真光寺原、向原。▼第3号(№3)は小字上明戸、南中嶋、大道南、砂押、桒木原、杉並、上宿北、北浦、西元屋敷、東元屋敷、元屋敷、下北原、北東。▼第4号(№4)は小字観音道、屋敷、宮久保、中屋敷、下宿、上宿、上宿南、南上宿。▼第6号(№5)は小字金井谷戸、深待、井戸田、霧谷津、中原南、東原、中原、前塚田、塚田、下塚田、北下原、落合原、落合、吉田、下田、下原、吉田原、大下原、注連引原、について記されている。▼いずれも茂木雄太郎在賢の控え書きと記されている。第5号の所在は不明。▼現安中市中野谷地域の地租改正などについて知る上で、貴重な史料である。▼▼【追加分】当文書群の追加分については、近世文書36点、明治期文書15点(新規の№1~№5を含めると20点)、大正期文書1点、昭和期文書1点からなる。▼近世文書については、「関所通し証文」13点(№14~№26)、為替手形7点(№32~№38)、図・絵図5点(№48、№52~№55)などがある。慶応4年8月の前橋鎮撫附総長から管轄村々への回達状(№8、№31)は、当時の水沼村(現桐生市黒保根町)の星野長太郎家から発給された文書と思われる。№54「上州一国之図」(文政2年)5月は、桐生周辺地域、渡良瀬川沿岸地域などを中心に、三色で克明に描かれている。市が立つ場所、桐生から遠国並びに近郷への道法も記されている。▼明治期の文書では、鉱泉関係として、新田郡西長岡(藪塚温泉の南)長生館関係文書が1点(№42)、太田在の鳥之郷地域にあったとされる姫子鉱泉大島館の関係文書・図が計3点(№43~№45)ある。
検索手段 「赤石幸夫氏収集文書目録」、インターネット検索目録
関連資料 特になし(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
先頭に戻ります。