資料区分 |
マイクロ |
請求番号 |
PF9901 |
文書群名 |
碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 |
伝存地 |
碓氷郡松井田町(現安中市) |
出所 |
安中市(旧碓氷郡松井田町横川) 後閑周之介家 |
地名 |
碓氷郡横川村(近世~明治22年)/碓氷郡臼井村大字横川(~明治22年)/碓氷郡臼井町大字横川(明治23年~)/碓氷郡松井田町横川(昭和29年~)/安中市松井田町横川(平成18年~現在) |
旧支配 |
江戸幕府(幕府領) |
役職等 |
碓氷関所定附同心(幕臣) |
歴史 |
後閑氏は新田岩松氏一族であるといわれている。碓氷郡の国衆であり、戦国時代には武田氏・北条氏などに仕えていた。その滅亡後には井伊氏に仕官したとされる(『武田氏家臣団人名辞典』)。▼由緒書によると元和年間(1615~1623)に徳川秀忠・家光父子が上洛する際に、碓氷関所が建設され、「碓氷関所定附同心」を命じられたようである(№184など)。ただし安中藩井伊家家臣ではなく幕府直臣である(№216など)。▼この直臣という身分が、のちに大きな問題になる。関所の役人は同心以外にも安中藩士から番頭・平番が任命され、運営されていた。井伊家以降藩主がたびたび入れ替わり、時代が下るとともに直臣という認識は薄れていく。▼幕府直臣である同心と番頭など安中藩士の間に、確執がたびたび生じたが、ついに天保年間に表面化し、同心が幕府に訴え出る騒動が起こった(№225など)。これに対し安中藩は、この出訴を越訴として同心を押込・隠居などに断罪した。同心は幕府に対し救助を訴願し、放免されている。▼その後碓氷関所は、明治2年(1869)に廃止されるまで続いていく。▼▼参考文献:柴辻俊六ほか『武田氏家臣団人名辞典』(東京堂出版 平成27年)、金井達雄『中山道碓氷関所の研究 上』(文献出版 平成9年)※金井氏の著書は同家文書を主軸に執筆し、釈文・解釈なども一部掲載されている。当文書を閲覧の際は、あわせてご一読いただきたい。 |
数量 |
5711 |
年代 |
永禄11年(1568)~明治43年(1910) |
構造と内容 |
碓氷関所関係の文書群。同心という立場であるため、関所の内部構造について窺い知れる貴重な資料である。上記の騒動に関係するものは非常に多い。▼訴訟に出た江戸からの地元へ送った書状や幕府への訴状の写しなどから、幕臣としての苦悩や誇り、安中藩に対して憤懣やるかたない様子が垣間見られる。▼ 延享4年(1747)~文久元年(1861)までの関所通行手形3561通。通行手形には人数・行き先が記載されていることが多い。行き先は、善光寺・信州上田・越後高田が多い。一般庶民だけではなく、武家(藩士)・僧侶なども多いことが特徴である。▼明治2年(1869)に碓氷関所は廃止されるので、近現代は後閑家の私的な文書となる。そのほとんどが通帳(かよいちょう)・金銭の請取など家計に関する資料である。数点ではあるが、大正14年(1925)に史跡として碓氷関所碑の建設に関する文書もある。 |
検索手段 |
「碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書目録」、インターネット目録検索 |
関連資料 |
碓氷郡の文書群として、原本は中島徳造家文書(P8909)、山田右二家文書(P8424)、複製本は武井義明家文書(PF9902)、中島公男家文書(PF0501)など。(参考文献:柴辻俊六ほか『武田氏家臣団人名辞典』(東京堂出版 平成27年)、金井達雄『中山道碓氷関所の研究 上』(文献出版 平成9年)、『角川日本地名大辞典』10[群馬県]など) |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。▼すべての通行手形には表題を「関所通行手形」としてありますので、インターネットで検索される場合はその通りに入力して下さい。 |