資料区分 マイクロ
請求番号 PF0501
文書群名 碓氷郡松井田町 中島公男家文書
伝存地 碓氷郡松井田町(現安中市)
出所 安中市松井田町 中島公男家
地名 上野国碓氷郡五料村(近世)/安中県碓氷郡五料村(明治4年7月)/群馬県碓氷郡五料村(明治4年10月)/熊谷県碓氷郡五料村(明治6年)/群馬県碓氷郡五料村(明治9年)/碓氷郡臼井村(明治22年)/碓氷郡臼井町(明治23年)/碓氷郡松井田町五料(昭和29年)/安中市松井田町五料(平成18年~現在)
旧支配 近世(安中藩):井伊氏(元和元年~)/水野氏(正保2年~)/堀田氏(寛文7年~)/板倉氏(天和元年~)/内藤氏(元禄15年~)/板倉氏(寛延2年~) 近現代:安中県(明治4年7月~)/群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 五料村名主・茶屋本陣・五料村戸長など
歴史 中島家は松井田諏方氏※の家臣であり、戦国時代末期には「中島伊豆守」を称した。▼三代目彦八良の長男の家系は代々金左衛門を称した(お西・中島公男家文書)。▼次男五右衛門の家系は平兵衛も称することがあり、ともに五料村の名主を務めた(お東、中島徳造家文書)。▼両家の系譜については5/122・6/138が詳しい。▼五料村は中山道碓氷関所付近の村でその警固とともに茶屋本陣も設置され、庶民だけでなく、大名などの通行で賑わった。両家は近現代でも五料村の戸長を務めた。▼ ※中世では「諏訪」は「諏方」と書かれる。
数量 393(複製本35冊)
年代 慶長6年(1601)~昭和60年(1985)
構造と内容 碓氷郡五料村の名主文書。慶長・寛永・寛文など近世初期の検地帳を所蔵する(1/1など)。▼また甘楽郡の諸村としばしば相論となった中木山に関する古文書・絵図が非常に多い。▼碓氷関所の通行手形や坂本宿の助郷に関する資料も残っている。▼茶屋本陣の資料としては、とくに尾張藩主の通行に関する資料が多く残されている(6/132など)。▼近現代になっても明治11年(1878)明治天皇が巡幸された。▼その際に、かつての茶屋本陣は休憩所となり、その様相をうかがえる資料もある。
検索手段 中島公男家文書仮目録、インターネット検索
関連資料 旧碓氷郡の文書群として山田右二家文書(P8424)、中島徳造家文書(P8909)、後閑周之介家文書(PF9901)、武井義明家文書(PF9902)がある。
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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