資料区分 古文書
請求番号 P8905
文書群名 前橋市北代田町自治会文書
伝存地 前橋市北代田町
出所 前橋市 前橋市北代田町自治会
地名 勢多郡北代田村(近世)/南勢多郡北代田村(明治11年~)/南勢多郡南橘村大字北代田(明治22年~)/勢多郡南橘村大字北代田(明治29年~)/前橋市北代田町(昭和29年~現在)
旧支配 前橋藩領(天正18年~平岩家/寛永12年~酒井家/寛延2年~松平家の支配)/前橋県(明治4年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
歴史 北代田地区は赤城山南麓に位置し、赤城白川と桃ノ木川の合流地点から西に広がる平坦な地形である。▼村高は「寛文郷帳」では785石(うち田方531石余、畑方254石余)で、江戸期を通じてあまり増減は見られない。明治3年の「銘細帳」によれば家数は58軒、人数324人、馬27匹であった。
伝来 平成元(1989)年に前橋市北代田町自治会より寄託された。
数量 804
年代 寛延3年(1750)~昭和40年(1965)
構造と内容 江戸期から昭和期にかけての北代田地区に関する文書群である。800点あまりの文書の半分は明治期のものであり、江戸期は約5%、大正期は約17%、昭和期は約8%、年代不詳のもの約24%である。▼この中でよく目にするものは、土地台帳である「野帳」や「名寄帳」であり、そこに記載された土地は下々田や下々畑のように等級の低いものが多い。それは、白川と桃ノ木川に挟まれ水が得やすく、作物には条件のいい土地柄である一方で、ひとたび洪水が起きると耕地に砂が入って荒地となってしまう事に起因している。▼そのことに関する「砂入御書上帳」や「荒地川欠起返御書上帳」も多い。先人達が荒地の復旧や洪水で破損した橋の普請のために、多くの労力と資金を充てなければならなかった事がうかがえる。▼地区内の「二ツ橋」「沼橋」の普請に関しては、設計・見積・入札・寄附金など細部にわたる文書が残されている。▼また、この地域では競馬が開催されていて、No.47~49、213~217の史料は競馬会関連のもので、広範囲から客が集まってきたことがわかる。
検索手段 前橋市北代田町自治会文書目録、インターネット検索目録
関連資料 県史複製資料「北代田自治会文書」(H0-125-1近世)。▼旧・南橘村の自治会文書として「前橋市龍蔵寺町自治会文書」(P8303)、「前橋市上細井町自治会文書」(P8407)、「前橋市関根町自治会文書」(P8908)、「前橋市川原町自治会文書」(P8606)、「前橋市日輪寺町自治会文書」(P8602)など。▼ほかに『南橘村誌』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条および「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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