資料区分 マイクロ
請求番号 PF1901
文書群名 前橋市本町 勝山敏子家文書
伝存地 前橋市本町
出所 前橋市 勝山敏子家
地名 群馬郡前橋本町(近世)/東群馬郡前橋本町(明治11年~)/東群馬郡前橋町本町(明治22年~)/前橋市本町(明治25年~)
旧支配 前橋藩平岩氏領(天正18年~)/前橋藩酒井氏領(慶長6年~)/前橋藩松平氏領(寛延2年~)/川越藩松平氏領(明和4年~)/前橋藩松平氏領(慶応3年~)/前橋県(明治4年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 前橋町年寄/戸長/学区取締/本町地主惣代/前橋生糸改所頭取/県会議員(東群馬郡)ほか
歴史 勝山家は江戸時代前期から前橋城下の本町に居住し、当主は前橋藩酒井家及び松平家の治政下で、江戸時代半ばまでは福野家、江戸時代後期には松井家らと共に前橋町の町年寄として町行政に携わった。▼明治時代以降も生糸製造所・質屋などを経営しながら、戸長・学区取締などの公職を務めた。
伝来 本資料(PF1901)は、当館所蔵の「勝山敏子家文書」(P8702)のうち、前橋町年寄関係文書(後述の約250点の文書と20数点の帳簿類など)を、「松井家旧蔵文書」(P01013)の一部とともにデジタル撮影して作製した複製本である(2019年度、勝山家寄付金事業)。▼【原本の伝来】勝山家には昭和戦前期まで、町年寄日記をはじめ厖大な史料が保存されていたが、昭和20年の戦災で土蔵の一つを焼失し、そのほとんどが失われた。▼焼け残ったもう一つの土蔵にあった文政4年の「上野国勢多郡前橋町図面」(P8701 №1)や明治前期の近代文書類約250点が当館に寄託された(昭和62年・平成2年)。▼ついで、同家の土蔵に残されていた江戸時代から明治・大正期の和書・典籍類約3500点と20数点の帳簿類などが当館に寄託され(平成16年)、後に全点が寄贈された。
数量 311
年代 宝暦7年(1757)~昭和17年(1942)
構造と内容 「勝山敏子文書」(P8702)のうち、前橋町年寄関係の文書である。▼№1~253は明治前期の近代文書類で、主に勝山源三郎氏が当主であった時期の文書である。▼このうち、「御用雑日記」は明治4年の町年寄日記である(№8)。町年寄は通常2名、添役が1~2名いた。▼なお、この日記は当館の研究紀要に翻刻が掲載されている(双文36号)。▼No.253の原本はこれまで非公開だったものである。前橋空襲により被災し、断簡として焼け残った町年寄日記であるが、当時の所蔵者が思いを記した紙片が付いている。▼(№1~38の原本は文政4年の「前橋町図面」(P8701・№1)とともに昭和62年に、残りは平成2年に寄託され、『群馬県立文書館収蔵文書目録10』所収の「前橋市本町 勝山家文書目録」により、当初第一次分として公開された)▼▼No.745以降のうち、帳簿類25点(No.3795以降)は、明治~大正期の勝山家の質屋経営関係のものが中心であるが、この中には慶応2年段階での町年寄の職務にともなって作成されたと推定される文書2点(№3805、№3815)なども含まれている。▼(No.745以降の原本は、江戸時代から明治・大正期の和書・典籍類約3500点とともに、平成16年に追加寄託された)▼▼本資料には原本を公開しているものもあるが、状態がひどい史料は複製本のみでの公開となっている。▼また、利便性と貴重な史料保存の観点から、まずは複製本である本資料での閲覧をご検討頂きたい。
検索手段 「前橋市本町 勝山敏子家文書目録」、インターネット検索目録
関連資料 原本として「勝山敏子家文書」(P8702)、勝山家所蔵「文政四年前橋町絵図」(P8701、前橋市重文、複製物閲覧)。▼前橋町年寄関係として一緒に撮影した「前橋本町 松井家旧蔵文書」(PF1902)、原本「松井家旧蔵文書」(P01013)。▼参考文献として『群馬県立文書館収蔵文書目録10 勝山敏子家文書』、「翻刻「明治4年 前橋町年寄日記~御用雑日記~」(当館の紀要『双文』36号)など。▼参考文献として角川書店『角川日本地名大辞典 10 群馬県』、平凡社『群馬県の地名 日本歴史地名体系10』、群馬県文化事業振興会『上野国郡村誌』、丑木幸男著『上野国郷帳集成』など。
利用上の留意点 原本を公開しているものもあるが(請求番号P8702)、状態がひどい史料は複製本のみでの公開となっている。また、利便性と貴重な史料保存の観点から、まずは複製本である本資料での閲覧をご検討頂きたい。
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