資料区分 マイクロ
請求番号 PF9206
文書群名 多野郡吉井町 横尾家文書
伝存地 多野郡吉井町(現高崎市)
出所 高崎市(旧・多野郡吉井町) 横尾家
地名 多胡郡片山村(近世)/多胡郡吉井町片山(明治22年~)/多野郡吉井町片山(明治29年~)/高崎市吉井町片山(平成21年~)
旧支配 吉井藩領(天正18年~、菅沼氏)/幕府領/幕府領と旗本京極・山田・長谷川氏の相給(元禄11年~)/うち幕府領は一部が吉井藩領(鷹司松平家、安永9年~)、残りが御三卿清水家領(文政7年~)を経て幕府領(安政2年~)/岩鼻県(明治2年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 高山社蚕業学校分教室横尾蚕室、高山社授業員、桑愛館、等(横尾佐十郎)
歴史 横尾家の遠祖は信州真田藩士であるという。文化2(1805)年に生まれた横尾佐十郎義之は江戸幕府絵師狩野探淵守真に学び、応処斎渕臨(淵臨)と号し、高崎藩絵師となり、多くの弟子を抱えた。また、弘化期より寺子屋を経営した。明治3年没。▼その子の佐十郎は明治27年、高山社伝習所横尾分教場を経営した。書籍として、横尾佐十郎 著『普通養蚕法』(明治27年)、横尾佐十郎述、横尾芳次・八幡良助記、神宮忠三郎編の『普通養蚕法問答書』(明治29年)がある。▼また、佐十郎は緑野教会(現・藤岡市)の創立者の1人で、初期の受洗者であった。▼息子の素一も長野県上田市の蚕業学校で学んだが、昭和18(1943)年戦争の激化により養蚕・蚕種製造協同組合を廃業した。
伝来 吉井町郷土資料館(現・高崎市立吉井郷土資料館)収蔵の横尾家文書の一部を当館が撮影した。
数量 78
年代 明治15年(1882)~大正6年(1917)
構造と内容 横尾家文書のうち、高山社で学び、高山社蚕業学校分教場横尾蚕室を経営した横尾佐十郎に関する養蚕関係の文書である。横尾家では蚕種や繭を製造しており、本文書群は明治時代の飼育日誌・養蚕日誌や会計簿が中心である。▼時には深夜から10回近くの給桑を行っていたこと等、具体的な養蚕の様子がわかる。また、日誌は当地の詳細な天候の記録(植物の開花等を含む)ともなっている。▼会計簿等(No.10/46~11/49等)からは、分教場・桑愛館(農桑館)を経営した横尾家の出入金や、伝習生に遠隔の府県出身者や女性がいたこと、県外の養蚕関係者とのやりとり等がわかる。▼他に千葉県・熊本県・北海道札幌における日誌等がある。千葉県は明治32年・33年の長生郡土睦村の高山社分教場中村蚕室、同久我蚕室のものがある(No.12/51~14/59)。熊本県は明治34年・37年の上益城郡大川村共同稚蚕飼育場・鹿本郡中富村富野為八飼育場、同郡平小城村田上共同飼育場のものがある(No.14/60~62)。▼いずれも「晴温育養蚕日誌 高山社用」(ママ)の記録用紙や、「高山社蚕業学校分教場 横尾蚕室用」の記録用紙等を用いている。横尾佐十郎ら横尾蚕室の関係者が、高山社授業員等として現地で指導した際の日誌と考えられる。▼特に北海道関係(明治20年・21年)の資料は提案書・報告書らしき書類、「北海道養蚕伝習所」の設計図らしきものまであり、興味深い(No.63~78)。札幌養蚕場担当授業員の佐十郎と芳次が教育以外の業務に携わっていたことがうかがえる。  本文書群を年代順に概観すると、明治15年から44年までの日誌等が連続的にあり、そこには高山社関係の記録用紙が用いられている。その後の大正5年、翌6年の2冊では用いられていない。また、前者は高山社の蚕種又昔を使用しているが、後者は田島弥平が選抜・育成した白鶴を用いている、という変化がある。  本文書群の中心である日誌は、緻密に温室度を管理する清温育、多回育以前の春蚕中心飼育、一代交雑種以前の高山社独自の蚕種の採用、条桑育以前の?桑(刻桑)による多数回の給桑といった、当時の高山社が提唱する方法を忠実に実践していた記録といえる。また、横尾佐十郎ら関係者が北海道・熊本県・千葉県で行った精力的な活動も示しており、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」に関係する貴重な資料群である。
検索手段 多野郡吉井町横尾家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 当館収蔵資料に横尾佐十郎関係として、明治21年9月佐十郎作成「養蚕伝習所設置案稿」(請求番号H18-1-1近現 文書番号31/3-2(31))、「共進会擬賞人名簿」(請求番号A0181A0M 文書番号1455)等。▼高山社関係として「藤岡市高山 高山家文書」(PF9102)、「高山吉重家文書」(H8-29-2近現)。▼旧・多野郡吉井町の養蚕関係として「田村家文書」(PF9207)。▼多野郡(当時)の養蚕関係として「多野郡鬼石町 城聞家文書」(PF9101)。▼群馬県の蚕種・蚕糸業関係として「佐波郡境町島村 島村蚕種文書」(PF9402)、「蚕業試験場資料」(PF823)、「旧原蚕種製造所前橋支所文書」(H0-41-1近現)、「群馬県立蚕糸高等学校文書」(H10-1-1近現)等。▼高山社分教場に関する参考文献として、「明治期の群馬県藤岡地区におけるキリスト教と養蚕業の関係 -緑野教会と高山社蚕業学校を中心に-」(荻野基行、東京福祉大学)、「高山社と分教場 高山社の関連養蚕農家建築概要調査報告書」(群馬県藤岡市教育委員会文化財保護課編集・発行)、「高山社衰退の経緯と要因」(春山秀幸著、「群馬県立世界遺産センター紀要」第2号掲載)、高山社関係として『群馬県立歴史博物館所蔵資料目録 高山社・蚕業学校関係資料』等。▼(参考文献として角川書店『群馬県姓氏家系大辞典』・同『日本地名大辞典 10 群馬県』、平凡社『群馬県の地名 日本歴史地名体系10』、群馬県文化事業振興会『上野国郡村誌』、丑木幸男著『上野国郷帳集成』など。)
利用上の留意点 特になし。
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