資料区分 古文書
請求番号 P9804
文書群名 前橋市総社町山王自治会文書
伝存地 前橋市総社町
出所 昌楽寺廻り世話人/山王青年会/前橋市総社町山王自治会
地名 群馬郡惣社町(近世~)/前橋県(明治4年)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)/群馬県西群馬郡惣社町(明治11年~)/西群馬郡総社町(明治22年~)/群馬郡総社町(明治29年~)/前橋市総社町(昭和29年~)
旧支配 総社藩領(慶長6年~)/高崎藩領(寛永10年~)/?本安藤氏領/幕府領(宝永7年)/沼田藩領(寛保2年)/前橋藩領(延享7年~)
歴史 11世紀後半に上野国司が国内の549社を勧請し神明帳を奉祀し、これをご神体として上野国総社大明神として社殿を建立したことに始まる。慶長6年(1601)秋元長朝の領地となり総社藩が立藩される。秋元氏は当初蒼海城に入ったが破損が甚だしく、同12年にあらためて勝山の地を中心に町割りを行った。この町が「惣社町」であり、旧蒼海城を中心とした町を「元惣社村」と称した。▼村高は「寛文郷帳」では1,627石余、「元禄郷帳」では1,063石余、「天保郷帳」では1,170石余である。▼また佐渡街道の一宿としても形成され幕府道中奉行の管下となり、陣屋が置かれ城下町から街道の町として発展した。《参考文献》『角川日本地名辞典』10 群馬県(角川書店 昭和63年)
数量 129
年代 明治24年(1891)~昭和63年(1988)
構造と内容 すべて近現代文書。明治期から戦後直後までは昌楽寺の祭典の人名・費用に関する簿冊が多い。「昌楽寺廻り世話人」・「同青年会」の資料が中心である。▼昭和20年代後半から「山王青年会」の運営資料(領収証)となり、昭和50年代に入ると「山王自治会」の資料となる。自治会資料については領収証に加えて、前橋市からの通知や申請書などが目立つ。そのなかで特徴的なのが日枝神社境内のクロマツについての資料である。昭和50年頃に落雷を受けたクロマツの前橋市や各関係機関による調査報告(№82-1~-7)がある。▼各年代・組織を問わず、明治24年~昭和48年まで「記録」(№65・66・68)が書き綴られている。
検索手段 前橋市総社町山王自治会文書目録、インターネット検索
関連資料 同じ前橋市内の自治会文書として新堀町自治会文書(P8209)、龍蔵寺町自治会文書(P8303)、小神明町自治会文書(P8312)、上細井自治会(P8407)などがある。
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条および「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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