資料区分 古文書
請求番号 P0108
文書群名 富士見村時沢区有文書
伝存地 勢多郡富士見村(現前橋市)
出所 富士見村時沢自治会
地名 勢多郡不動堂村(近世)/勢多郡時沢村(明治9年~)/南勢多郡時沢村(明治11年~)/南勢多郡富士見村大字時沢(明治22年~)/勢多郡富士見村大字時沢(明治29年~)/前橋市富士見町時沢(平成17年~現在)
旧支配 前橋藩領(寛永12~)/前橋県(明治4年)/第一次群馬県(明治4年)/熊谷県(明治6年)/第二次群馬県(明治9年)
歴史 前橋市富士見町時沢地区は赤城山南西の裾野部に位置する。天正年間に不動堂村と呼ばれるようになる。『寛文郷帳』によれば村高401石余(田方340石余、畑方60石余)、『天保郷帳』によれば村高659石余である。天保12年の「明細帳」によると、家数179軒はすべて本百姓で、人数665人(男288人・女277人)であった。
伝来 富士見村時沢地区で保管されていた文書群が、2001年(平成13年)文書館に寄託された。
数量 1536
年代 元禄6(1693)年~昭和61(1986)年
構造と内容 文書群は、江戸期のもの140点(総点数の9.1%)・明治期のもの310点(20.1%)・大正期のもの161点(10.5%)・昭和期のもの802点(52.0%)・年代不詳のもの127点(8.2%)で、昭和期のものが過半を占める。▼区有の文書群のため、時沢地区の土地所有や住民の戸籍に関するもの、村税・区費といった金銭に関するもの、地域の共同体の祭祀に関するものの比重が高い。▼土地に関しては、江戸期の検地水帳・名寄帳、明治以降の野帳・地券等があり土地利用のあり方がわかる。また、赤城山の植林についての史料も散見される。▼住民の移動については、江戸期の「送り一札」や明治期の「送籍証」などが残されていて、江戸期の名主・明治期以降の区長が、現在の役所の役割を担っていたことがわかる。▼文書群の中で特に際立って目につくのは、不動尊の祭礼や護摩講に関する史料である。祭礼では花火があがり、芝居興行や露店が出店して盛況だった様子が伺える。それら祭礼関係の各種許可願いや領収書類が大切に保管されている。平時には「家内安全」の護摩講も、戦時には「武運長久」を祈るものが多くなることは時代を反映するものといえよう。このような講や祭礼を通じて、時沢不動尊が大人から子供までを結び付ける共同体の核になっていたと思われる。▼保存状態が良好だったためか、古い史料であっても損傷が少ない文書群である。
検索手段 富士見村時沢区有文書目録、インターネット検索目録
関連資料 当館所蔵の県史複製資料に「時沢区有文書」(H13-6-2近世)がある。また、時沢の近隣地域の文書群として、「勢多郡富士見村原之郷区有文書(P8512)、「前橋市富士見町徳沢自治会文書」(P1003)、「前橋市富士見町時中自治会文書」(P1804)がある。同じくマイクロ複製史料として「勢多郡富士見村寒河江家文書」(PF8407)がある。(参考文献:『角川日本地名大辞典』 10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史地名大系10]、『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』、『勢多郡富士見村郷土史』、『写真集富士見村政百年のあゆみ』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条および「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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