資料区分 古文書
請求番号 P00203
文書群名 前橋市旧神明町文書
伝存地 前橋市旧神明町
出所 神明町に伝わる区有文書(神明町事務所)
地名 神明小路など(近世~)/前橋町神明町(明治7年~)/東群馬郡前橋町神明町・南勢多郡前橋町神明町(明治11年~)/前橋市神明町(明治25年~)/前橋市平和町・千代田町・大手町・岩神町(昭和41年~)
旧支配 前橋藩
歴史 旧前橋城内の北東部から北側にあり、武家住居区画の柳小路・神明小路・向小路をあわせて、明治7年(1875)に神明町と命名された。町名の由来は町内に鎮座した神明宮による。群馬郡と勢多郡の境を流れる広瀬川の両岸にあるため、明治11年(1878)の郡区町村編制法により広瀬川以北は南勢多郡、以南は東群馬郡に属した。町内には前橋藩主酒井重忠が創建した曹洞宗源英寺がある。 《参考文献》『角川日本地名大辞典 群馬県10』
数量 1002
年代 明治22年(1889)~平成13年(2001)
構造と内容 すべて近現代文書。明治~大正期は消防関係や神明町の予算・決算関係資料が多い。戦中・戦後では前橋市・教育委員会からの通知や依頼などが多い。戦中では砂糖・油・練炭など生活物資の配給や回数購入が多い。昭和29年・30年が最も多く、また内容も多岐にわたり、月別に整理されている。年度を問わず伝染病の予防接種や刊行物・印刷物などの配布、レクリエーションに関する資料が多い。また昭和29年限定では第四中学校開設による学区変更(№343-6,-7,-9)や大前橋建設記念事業関係(№351-8,-12)なども特徴的である。三陸津波(№330)や関東大震災(№249)など義捐金に関する資料は時代を通じて散見される。▼余談であるが、昭和41年制定「敬老の日」の資料2点は(№181-9-9、351-11)、それ以前であるので、「としよりの日」(昭和26年~)となっている。同じように「成人式」も「成人祝」「成年祝」(№353-10など)という表現になっている。
検索手段 旧神明町文書目録(本目録)、インターネット検索
関連資料 前橋町関係として勝山敏子家所蔵文政4年前橋町絵図(P8701)、勝山敏子家文書(P8702)、藤井新兵衛家文書(P9201・PF815)、松井家旧蔵文書(PP1013、PF1901)などがある。
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条および「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。またセロファンテープで貼付されている資料が多く存在するが、無理に剥すことはしていない。扱いは丁寧にお願いします。
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