資料区分 マイクロ
請求番号 PF9903
文書群名 栃原まつ江家文書
伝存地 吾妻郡嬬恋村大笹
出所 吾妻郡嬬恋村大笹
地名 【吾妻郡大笹(おおざさ)村】:吾妻郡大笹村(近世)/吾妻郡嬬恋村大字大笹(明治22年~現在)(「上野国郡村誌」)
旧支配 【吾妻郡大笹(おおざさ)村】:沼田藩領(近世初期~) ⇒幕府領(天和2年・1682~) ⇒岩鼻県(明治元年・1868~)⇒第一次群馬県(明治4年~)⇒熊谷県(明治6年~)⇒第二次群馬県(明治9年~)
役職等 栃原家は、大笹御関所番人四家のうちの一家。他は、鎌原家・西窪家・横谷家。
歴史 大笹村の石高は、「寛文郷帳」146石余のうち田方3石余・畑方142石余、寛文2年(1662)の真田氏の検地で824石(『吾妻郡誌』)と打ち出されたが、貞享2年(1685)の幕命「お助け検地」で178石余、「元禄郷帳」178石余、「天保郷帳」216石余、「旧高旧領取調帳」217石余。▼当村を通る街道は、戦国期から近世初頭において信州上田の真田氏が本城上田と沼田を結ぶ軍事道路として重要な道筋であり、慶安3年(1650)以降は信州仁礼から鳥井峠・大笹・高崎を結ぶ北国街道の脇往還として幕府から公認された道であった。当村は、大戸から高崎へ抜ける大戸通りと沓掛へ向かう大笹通りの分岐点にあり、宿場として栄えた。寛文2年から明治2年(1869)まで関所が設置された。設置場所は、宿の西側を流れる鹿の籠川右岸で、川には刎ね橋が架けられた。▼当村を通過する荷駄は、信州からの年貢米をはじめ穀類・木綿・反物・煙草などの物資・日用品が多く、六斎市が開かれた。草津温泉への湯治客や信州の善光寺詣りをする人々の往来も多かった。享保年間(1716~1736)頃には、中馬稼ぎが盛んになった。▼黒岩長左衛門は、元和年間(1615~1624)頃に宿場作りを行い、以後代々問屋を営み、名主・関所世話役などを務めた。天明3年(1783)の浅間山大噴火後、一時熱湯になった北麓の湧水を大笹宿へ引湯して大笹温泉をつくり地域の復興をリードした。また、被害の大きかった東方の鎌原村を救済するため尽力した。
伝来 吾妻郡嬬恋村大笹 栃原まつ江家
数量 121
年代 元禄14年(1701)正月朔日~明治2年(1869)6月
構造と内容 近世期文書120点(全体の約99.2%)、明治期文書1点(全体の約0.8%)、計121点の文書群である。近世期文書のうち、年号記載は34点(約28.3%)、近世と考えられる文書は86点(約71.7%)である。▼「大笹御関所」関係文書は、110点(全体の約90.9%)である。このうち、地元大笹村の関所役人数人が請け合い(保証して)、大笹御関所を通す「大笹御関所通し請合証文」は、88点(全体の約72.7%)ある。「上野国吾妻郡大笹村御関所 御修覆御普請扣」(安政3年、№1)及び「上野国吾妻郡大笹 御関所御修覆扣帖」(安政2年、№2)は、大笹御関所の修復の歴史が記されている。「上野国大笹御関所男女出入改日記」(元禄15年、№3)・「元禄十四巳年大笹御関所男女出入改日記」(元禄14年、№4)は、当時の女性の大笹御関所通行の様子が記されている。また、「上野国吾妻郡大笹 御関所明細帳」(安政4年、№6)もある。▼唯一の明治期文書「連印頼一札」(明治2年6月、№13)は、同村の長左衛門を相手取った村方騒動的な出来事について記されている。当該文書群は、近世大笹御関所について知る上で、貴重な史料が多数含まれている。
検索手段 吾妻郡嬬恋村大笹「栃原まつ江家文書目録」
関連資料 P2002吾妻郡嬬恋村大笹「大笹区有文書」(絵図1点公開)、PF9004同所「栃原仙次郎家文書」(21点)、PF0305同所「黒岩タキ家文書」(1,026点公開、原本は嬬恋郷土資料館蔵)、県史複製H64-3-1近世 同所「岩上武家文書」(100点)、同H64-3-3同所「栃原仙次郎家文書」(10点)、同H64-3-4近世 同所「土屋源三郎」(4点)、同H64-3-5近世 同所「黒岩晴義家文書」(37点)など
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