| 資料区分 | 古文書 |
| 請求番号 | P09901 |
| 文書群名 | 高山勇氏収集文書 |
| 伝存地 | 高崎市倉賀野町 |
| 出所 | 山梨県南巨摩郡西島村(現南巨摩郡身延町西嶋) 望月家 ほか |
| 地名 | 甲斐国巨摩郡西島村(近世)/南巨摩郡西島村(明治22年~)/南巨摩郡中富町西島(昭和29年~)/南巨摩郡身延町西嶋(平成16年~) ほか |
| 旧支配 | 幕府領(近世)/甲斐府(慶応4年~)/甲府県(明治2年~)/山梨県(明治4年~) |
| 役職等 | 紙商人(望月家) ほか |
| 歴史 | 望月家のあった西島村は、富士川の西岸、駿州往還を中心に集落を形成し、箱原村から新道切通しを抜けて1里、伝馬宿切石宿から20町余りのところに位置する。▼村域は南北に縦断する往還に沿うように20町、東西に15町の広がりをもつ。▼寛文11年(1671)の検地帳によれば、高285石余、反別田1町余、畑79町5反余、屋敷2町7反余とある。家数・人数は宝暦7年(1757)には302軒、1310人であったという。▼戦国期に望月清兵衛が御料紙を武田信玄に献上して以来、当地では紙改役人としての特権的地位を踏襲し、西河内領の紙漉仲間を統括した。▼近世中期から幕末期、西島村の和紙生産量は年間約3万貫前後といわれ、百姓たちはこの膨大な和紙を携えて諸国商売に出かけたという。耕地の少ない当地の百姓たちにとって製紙業は極めて重要な産業であった。 |
| 伝来 | 高崎市倉賀野町在住の高山勇氏のもとに地域住民や親族から寄せられた文書群。詳細な伝来経緯は不明。 |
| 数量 | 100 |
| 年代 | 延享3年(1746)12月~昭和23年(1948) |
| 構造と内容 | 高崎市倉賀野町の歴史学習会(倉賀野雁会)会員の高山勇氏が収集した文書群。近隣住民から寄贈された望月家関係文書、埼玉県鴻巣市で乾物問屋を営んでいた高山氏の親戚から譲られた文書などから構成される。▼本文書群の大部分を占める望月家関係文書は、山梨県南巨摩郡西島村で紙商いを営んでいた「望月兄弟商店」に伝来したものと思われる。▼内容としては当地における戦国期以来の特産物である西嶋和紙の生産や流通に関連する近世から明治期の帳簿類が中心であるが、村役人として収受したと思われる年貢関係文書(№70~№85)、望月家関係者の私信(№65~№69)などが含まれる。▼特に明治期の紙商いに関連する帳簿類からは、行商の実態(№94、№95)などを読み取ることができ非常に興味深い。本県新田郡や前橋、高崎の取引先の記載がある帳簿(№96)も存在する。▼高山氏の親戚から譲られた文書は、商家に伝来したと思われる手本類(№1~№3)である。▼また、本県関係の史料として、北群馬郡吉岡村上野田出身の医師である原沢文仲(1764~1839)の書状(№4)がある。原沢文仲は江戸遊学や長崎での蘭方習得のほか、紀州の華岡青洲から外科を学んだとされ、駒形町(前橋市)の内田忠順に学資を与えて華岡門に学ばせ、その学習事項を筆記させて送付させたといわれている。 |
| 検索手段 | 高山勇氏収集文書目録、インターネット検索目録 |
| 関連資料 | 参考文献:『山梨県の地名』(日本歴史地名大系19:平凡社) |
| 利用上の留意点 | 特になし |