| 資料区分 | 古文書 |
| 請求番号 | P01802 |
| 文書群名 | 髙井房義家文書 |
| 伝存地 | 伊勢崎市境伊与久 |
| 出所 | 伊勢崎市境伊与久 髙井房義家 |
| 地名 | 伊勢崎市境伊与久 |
| 旧支配 | 伊勢崎藩領(~元和2年)/前橋藩領(~寛永4年)/伊勢崎藩領(~寛文2年)、前橋藩領(~天和元年)、伊勢崎藩領(明治4年)、伊勢崎県、群馬県(~明治6年)、熊谷県(~明治9年)、群馬県(~現在) |
| 役職等 | 五惇堂村内肝煎(近世) |
| 歴史 | 伊与久村は広瀬川支流粕川下流域に位置する。村高は「寛文郷帳」では793石余、「元禄郷帳」同高、「天保郷帳」1,344石余、「旧高旧領帳」1,353石余。▼天保年間の記録では、本高のほかに新田分550石余があり、反別は120町余、家数295戸、人別1,262人、馬90疋。伊勢崎町寄せ場組合に属した。▼寛政年間には、絹織物の技術が村に入り、織物の生産がのび、さらに蚕種製造業者が生まれた。経済的豊かさを背景に、高度の学問教育の発展があり、村内の7人の村人により、享和3年(1803)に上野国ではじめての庶民教育機関である五惇堂が創設された。柴野栗山に学んだ宮崎有成を中心としたほか同志6人が教授し、文化5年(1808)には伊勢崎藩の正規の郷学校として位置づけられ、伊勢崎藩も随時講師を派遣して教育を助けた。▼本文書群を伝来した高井家は、五惇堂の創設者の一人、高井中斎を排出している。中斎は、名を直、通称黙右衛門といい、中斎を号した。父の作右衛門は、同村の深町重右衛門から算学を学んだ。中斎は、伊勢崎藩の儒学者浦野知周(神村)に師事し、後に江戸へ出て儒学を修めた。帰郷してからは自邸内に私塾を開いていたが、文政5年(1822)、宮崎有成らとともに五惇堂を創立し、当校の教授となった。栗庵似鳩に俳諧を学び、東毛俳壇で著名な存在となった。俳号は微風、のちに穀風と号した。天保初年頃から約14年間ほど境町に仮居し、近西屋と称して穀商を営み、私塾も開いていた。その期間も、五惇堂で教授を勤め、講義を続けていた。嘉永7年(1854)7月21日、81歳で没している。 |
| 伝来 | 江戸時代以降、髙井家に代々伝来した文書・記録・典籍類である。 |
| 数量 | 187 |
| 年代 | 慶長15年(1610)~大正2年(1913) |
| 構造と内容 | ▼伊与久村の五惇堂に関する文書と髙井家に関わる文書で構成される。多くは典籍類となっており、五惇堂との関わりがうかがえる。№23「文政二年御講義筆記」、№17「高用趣意書帖(五惇堂村内肝煎他村役人役用日記)」、№20「文化十四年御講義筆記」、№21「素読出席扣帖(五惇堂出席数書上)」、№22「五惇堂普請入用帳」などは、五惇堂の経営や教授内容を伝える重要史料であり、高井黙右衛門(中斎)の筆記した史料も含まれる。▼ほかに、№13「蚕種引附帳」、№14「蚕種引附帳」など蚕種製造に関わる文書など、髙井家の経営に関わる文書などが含まれている。 |
| 検索手段 | 髙井房義家文書目録、インターネット検索目録 |
| 関連資料 | 同家の県史収集複製資料として高井房義家文書(H82-5-3近世)。▼参考文献:『伊勢崎市史 通史編2 近世』(伊勢崎市、1993年)、『境町史 第3館 歴史編上』 (境町、1996年) |
| 利用上の留意点 | 特になし |