資料区分 県史複製
請求番号 H0-92-1近世
文書群名 善勝寺文書
伝存地 前橋市
出所 天台宗善勝寺
地名 勢多郡端気村(近世)/南勢多郡端気村(明治11年~)/南勢多郡芳賀村大字端気(明治22年~)/前橋市端気町(昭和29年~)
旧支配 前橋藩平岩氏領(天正18年~)/前橋藩酒井氏領(慶長6年~)/前橋藩松平氏領(寛延2年~)/川越藩松平氏領(明和4年~)/前橋藩松平氏領(慶応3年~)/前橋県(明治4年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治12年~)
歴史 艮場山慧雲院善勝寺と号す。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば、日光二荒山開山の勝道上人の草創という。▼大治4年(1129)聖慶が薬師如来を安置し、自観寺と名付けた。正嘉2年(1258)天台僧覚山が住持の時、北条時頼が当寺に泊り、僧の高潔雅趣に感じ入り田100畝を寄進したという。▼天文年間(1532~1555)厩橋城主長野某が善勝寺と改称し、永禄5年(1562)には越後上杉氏の将北条高広が艮場山に改称したとされる。▼江戸時代に入り、徳川家光より朱印地25石を端気村の内に賜り幕末まで続いた。▼寺宝の鉄造阿弥陀如来像は仁治4年(1243)の紀年銘があり、重要文化財(国指定)に指定されている。
伝来 天台宗善勝寺
数量 9
年代 永禄8年(1565)~万延元年(1860)
構造と内容 永禄8年(1565)年7月晦日付の善勝寺宛の北条高広安堵状など北条高広発給文書3点、徳川家光と徳川家茂の朱印状が各1点、年不詳の安岡寺宛の豊臣秀長書状1点、他に朱印状包紙の計7点。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 同寺中世文書の県史複製資料はH0-10中世「善勝寺文書」。▼参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『日本歴史大系10群馬県の地名』、『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛文庫)など
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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