資料区分 県史複製
請求番号 H2-5-1近世
文書群名 斎藤正七郎家文書
伝存地 桐生市
出所 桐生市本町 斎藤家
地名 上野国山田郡桐生新町/岩鼻県山田郡桐生新町(明治元年)/栃木県山田郡桐生新町(明治4年・1871年11月)/群馬県山田郡桐生新町(明治9年)/山田郡桐生町大字桐生新町(明治22年)/山田郡桐生町大字桐生(大正6年・1917年)/桐生市大字桐生(大正10年・1921年)/桐生市本町1丁目~6丁目・横山町(昭和4年・1929年~現在)
旧支配 館林藩領(近世初期)/幕府領(慶長3年・1598年)/館林藩領(寛文元年・1661年)/旗本神尾氏領(天和2年・1682)/幕府領(寛保2年・1742年)/旗本神尾氏領(宝暦12年・1762年)/出羽国松山〔松嶺〕藩領(安永8年・1779年)/岩鼻県(明治元年・1868年)/栃木県(明治4年・1871年11月)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 〔近世・桐生新町〕町の成立については、天正11年(1583)「荒戸原へ新町を割り、六丁目欠下舟渡場にて新田への往還なり」(桐生古潭)、天正19年「町並みを作りて御陣屋を建つ、円満寺の北なり。梅原天神を下久方村赤城の森へ遷す」(天正遺事)、慶長11年(1606)「新町開けし時に、周田喜右衛門一番に小間物見世を張る」(今泉村見聞録)などとみえる。慶長3年の「桐生領惣辻改」には、荒戸村とみえることから、慶長年間に幕府代官大久保長安の手代大野尊吉が、梅原天神(現天満宮)を下久方村赤城の森へ移し、荒戸村の一部を割き、新たに町を建設したと考えられる。元禄2年(1689)の古図によると、南北9町を町人町にあて、円満寺北の丘陵を削り平にして陣屋を置き、町人町とは1町32間の横町で繋いだ。周囲の村境に高さ5尺の土居を築き、郭内は中央に幅5間の道路を通して両側を間口7間・奥行40間前後の短冊状に地割りして屋敷地とした。当所は、1丁目から4丁目迄の町並みを整え、東は今泉橋(兎堰堀)で今泉村へ、西は小曽根橋(大堰堀)で本宿村へ通じた。慶長11年、下瀞堀(現新川)迄を拓き5丁目・6丁目とし、同17年新宿村から浄運寺を6丁目へ、翌18年今泉村槐原から稲荷神社を常木へ移し、近郷農民の入植を奨励した。村高は、「寛文郷帳」では新町と見え畑方306石余、「天保郷帳」321石余、「旧高旧領取調帳」324石余。文化12年(1815)の家数753・人数3,269のうち僧6・医師15・盲人4・奉公人753、馬24(宗門人別改帳)。神社は、八坂神社・母衣輪権現社。寺院は、天台宗栄昌寺・東光寺・衆生院・長福寺、浄土宗浄運寺がある。当町は谷口集落で、山地の生産品、平地からの移入物資とを交易する市場町の役割りを担い、慶長年間から天満宮境内で酉の市が開かれるようになった。旧桐生領54か村は、全て谷間の山村であるため耕地が少なく、古くから農間余業として養蚕・製糸・機織りが行われていた。慶長5年の関ヶ原の戦いの時、徳川家康の軍へ旗絹を調達し(天正遺事)、それ以降小物成として旗絹2,410疋を納めた。正保3年(1646)、現物納の旗絹が金納にかわったことから、換金の必要に迫られ六斎市が立つようになった。享保8年(1723)には、白生地に吟手染めの手法を取り入れ、完成品の織物を織り出すまでに成長し、この頃から京都・大坂・江戸との取引が多くなった。同16年、大間々村の絹市と利害が対立し、桐生新町の市日が立て替えとなった。元文3年(1738)、高機の導入により、製品は平織りの白生地から斜文織りの技法となった。この技法は、複雑な準備工程を経るため、賃業者とそれを統括する元機経営者とを生み出し、やがて西陣と並ぶ有力な機業地へと発展した。高機は、隣接の足利町へ広まり、安永10年(1871)領外機取立禁止規約を結び、技術の流出を防ごうとしたが、足利は織物市開設で対抗した。桐生絹市は、急速に不振となり、天保8年(1837)絹買・織屋仲間は足利出市差し止めを議定した。後、町内は議定を破った商人の処断をめぐる紛争、安政6年(1859)神奈川(横浜)開港による生糸輸出禁止訴訟などで紛糾した。織物業・諸産業の発達に伴い、文化人との交流も活発となった。寺子屋の普及と書物の流布により、江戸の町人文化が広まった。漢詩文の長沢紀郷・佐羽淡斎、国学の貞暉・吉田秋主・黒川真頼、書家の玉上玉江、画家の前原亘瀬・堀越安長・粟田桐雨・岩本一僊、史家の新居峯章らが知られている。寺子屋は近世後期に普及し7塾。名主は、茂木・小林・金子・書上・新居・岩下・古木・佐羽・森口・粟田・長沢の諸家で務めた。幕末の改革組合村高帳によると、当町ほか24か村の寄場組合に属し、高321石余、家数767であった。
伝来 桐生市本町 斎藤家
数量 1
年代 明治7年(1874)1月
構造と内容 大宝恵(明治7年)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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