資料区分 県史複製
請求番号 H2-94-2近世
文書群名 園田祥夫家文書
伝存地 桐生市
出所 桐生市川内町 園田祥夫家
地名 〔近世・小倉村〕上野国山田郡小倉村/〔近世・西小倉村〕上野国山田郡西小倉村(寛文9年・1669年検地)/岩鼻県山田郡西小倉村(明治元年・1868年)/栃木県山田郡西小倉村(明治4年・1871年11月)/群馬県山田郡西小倉村(明治9年)/山田郡川内村大字西小倉(明治22年)/桐生市川内2丁目(昭和29年・1954年~現在)
旧支配 館林藩領(近世初期、小倉村)/小倉村が東小倉村・西小倉村に分村(寛文9年・1669年)/旗本池田氏領(以降西小倉村、天和2年・1682年)/岩鼻県(明治元年・1868年)/栃木県(明治4年・1871年11月)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 元は、小倉村の内であったが、慶長3年(1598)の「桐生領惣永辻改」に西小倉とあり、このころ東西に分村したともいわれる(『山田郡誌』)。しかし、「寛文郷帳」には小倉村とのみ記され、「元禄郷帳」に東小倉村・西小倉村と分けて記載されていることから、正式には寛文~元禄年間の寛文9年(1669)の検地の際、両村に分かれたとみられている。村高は、寛文9年の検地帳で363石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに383石余、「旧高旧領取調帳」384石余。文政7年(1824)の家数70、人数220、納辻永170両(「諸聞書」)。神社は、赤城神社、寺院は臨済宗崇禅寺がある。寺子屋は1、弟子21人。名主は、今泉・諏訪・園田の諸家で勤めた。幕末の改革組合村高帳によると、桐生新町寄場組合に属し、高367石余、家数42であった。
伝来 桐生市川内町 園田祥夫家
数量 2
年代 天明5(1785)11月、他
構造と内容 重来人別(天正年中古書、天明5年)、〔太刀作法相伝〕(年次不詳)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典38群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
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