資料区分 県史複製
請求番号 H3-61-5近世
文書群名 森村敏夫家文書
伝存地 伊勢崎市
役職等 森村家当主は、文化3年(1806)には旗本駒井氏の連取陣屋の代官添役、のち代官となり次中小姓格に昇格。伊勢崎町ほか74カ村寄場組合の大惣代も勤めた。
歴史 森村家は鎌倉時代まで遡り、「五十嵐」を名乗ったが、天正9(1581)年に入封した駒井氏から「森村」姓を拝領した。▼総本家は江戸中期から当主が園右衛門を襲名。▼横浜開港後には「連製社」を経営し、富を蓄積した。天狗党通過の際は上野国で最高額の千両を払った。▼登喜太、連太、鍋太と続いた。芸術家の酉三は鍋太の弟である。▼分家の堯太は伊勢崎銀行を創設、県会議員を務めた。また、クリスチャンとして前橋英和女学校(共愛学園)等の設立・維持に貢献した。▼2代目・堯太(良策)は昭和7年、群馬大同銀行(群馬銀行の前身)を設立し、頭取等を務めた。
関連資料 群馬県立近代美術館『没後70年 森村酉三とその時代』所収の手島仁「森村酉三と寿々」等。▼「 森村敏夫家文書」(H3-4中世)。
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