資料区分 県史複製
請求番号 H4-2-1近世
文書群名 東光寺文書
伝存地 太田市
出所 高野山真言宗 東光寺
地名 新田郡太田町(近世~)/太田市本町(昭和23年~現在)
旧支配 はじめ館林藩領/寛永20年(1643)~幕府領→甲府藩領/寛文元年(1661)館林藩領/天和2年(1682))幕府領/明治4年(1871)館林県→栃木県/明治9年(1876)第2次群馬県
歴史 医王山真如院東光寺と号す。本尊は薬師如来。▼寺伝によると、新田義貞三代前の新田本宗家、第五代新田大炊助源政氏が祈願所として、文応元年(1260)七月二十五日に礎石を置き、真清法印によって開創されたという。▼その後、正平年間(1346~1370)に、新田義貞の二男で南朝方の武将であった新田義興(延文三年(1358)武州多摩川の矢口渡で自害)の遺骨を埋葬し、義興の弟新田義宗の子孫が代々住職を務め、第十一代法印良榮が当山法流の開山になったと伝えられる。▼当寺墓地の岡家墓所内には、義興供養塔(無縫塔形式)が存在し、礎石には海軍軍医として活躍した岡文造が自家の古文書を基に作成した由緒書が刻まれている。▼明治十二年(1879)調査による『上野国新田郡寺院明細帳』には、当寺は由良村(現太田市由良町)威光寺末とある(威光寺は義興開基の菩提寺)。▼本堂は慶応三年(1867)に新築した後、明治三十四年(1901)に改築。現在の本堂は平成11年(1999)に竣工したものとなる。
伝来 高野山真言宗 東光寺に伝来。
数量 10
年代 享和元年(1801)~慶応4年(1868)
構造と内容 享和元年(1801)10月の「支配地相返シ候趣意之事(大光院よりの借地返却に付)」など、大光院(浄土宗)との土地をめぐる関係を記す文書2点のほか、文政13年(1830)8月の「什宝真俗雑記(本尊他書上)」などの寺務に関する文書で構成される。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(上毛文庫)
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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