資料区分 県史複製
請求番号 H4-5中世
文書群名 武藤清家文書
伝存地 太田市
出所 太田市龍舞町
地名 上野国山田郡龍舞村/栃木県山田郡龍舞村(明治4年)/群馬県山田郡龍舞村(同9年)/新田郡韮川村大字龍舞(明治22年)/新田郡休伯村大字龍舞(明治26年)/太田市大字龍舞(昭和32年)、その後太田市龍舞町
旧支配 初め館林藩領/寛永20年(1643)幕府領/同21年館林藩領/天和2年(1682)旗本・幕府の相給/幕末期は小泉村寄場組合に属す/明治元年(1868)岩鼻県/同4年栃木県/同9年第二次群馬県
歴史 【中世 寮米保】鎌倉期~室町期に見える保名。山田郡。「神鳳抄」には、内宮の所領として「寮米御厨」と見え、当地が伊勢神宮領であったことが知られている(神宮文庫/群馬県史資料編6)。▼嘉暦3年(1328)4月8日に三善貞広法師は佐貫荘高根郷弘願寺に寺領を寄進したが、その別紙注文の9か所の所領のうちに「同(佐貫)庄内料米保内名田畠」が見える(同前)。▼当保は、内島村・西内島を含んでおり、康永2年(1343)8月20日の山田郡寮米保西内島注文(正木文書/群馬県史資料編5)は、当保内西内島村の田数注文に年貢・請作者(在家)が記されたものであるが、その末尾に暦応4年(1341)2月10日の鎌倉府執事上杉憲顕奉書写が写されており、その中に「上野国山田郡寮米保内西内島村〈佐貫内島彦六入道・同孫六入道跡〉事」と見え、当保西内島村は佐貫一族の内島氏から没収されたのち勲功の賞として佐貫一族の江口氏に預け置かれたことがわかる(同前)。
伝来 武藤清家
数量 4(簿冊1)
年代 (永禄4年(1561)カ)10月15日~天正17年(1589)12月19日
構造と内容 №2「北大路任宣書状写(口宣案下付の件)」〔(永禄4年カ)10月〕、№1「由良国繁宛行状(龍舞郷内榎木戸30貫900文)」〔天正17年12月19日〕、№3「由良成繁・国繁連署宛行状(小田原使者の賞として10貫文加増)」〔亥2月〕、№4「〔武藤家系図〕(藤原鎌足より武藤幸介まで)」〔年次不詳〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『群馬県史 資料編 5』、『群馬県史 資料編 6』、『太田市史 史料編 中世』など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 15 新田郡』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。また、原資料所蔵者の許可なく複写できません。
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