資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H7-2中世 |
文書群名 |
入沢柳太郎家文書 |
伝存地 |
渋川市 |
出所 |
渋川市渋川入沢 |
地名 |
群馬郡渋川村(近世)/西群馬郡渋川町(明治22年)/群馬郡渋川町(明治29年)/北群馬郡渋川町渋川(昭和24年)/渋川市渋川(昭和29年~現在) |
旧支配 |
初め高崎藩領/元和元年(1615)安中藩領/天和元年(1681)~幕府代官高室安右衛門・岡上次郎兵衛支配の幕府領/元禄4年(1691)幕府領の3分の2を表高1,500石の旗本酒井氏領として分給し、幕府領・旗本領・真光寺領の3給/明治元年(1868)前橋藩支配/同4年前橋県、第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年群馬県/同11年群馬県西群馬郡に所属 |
歴史 |
【中世 入沢村】戦国期に見える村名。群馬郡のうち。天正10年()2月25日の木暮下総守宛て長尾輝景判物(木暮文書/群馬県古城塁址の研究補遺上)に「一、入沢口 拾貫文」と見え、当地などの知行を安堵している。また翌日の同年2月26日の北条高広寄進状(子持神社文書/同前)には、「子持山為寄進、渋川入沢村之内十弐面(ママ)参貫五百文之所、永代令遣納候」と村名で見え、子持神社に当村のうち3貫500文を寄進している。現在の渋川市渋川のうちの小字入沢に比定される。 |
伝来 |
入沢柳太郎家 |
数量 |
10(簿冊1) |
年代 |
天文13年(1544)3月~昭和31年(1956)3月 |
構造と内容 |
№4「〔信濃国退去の従者小池吉兵衛他12名書立〕」〔天文13年3月〕、№9「上杉景虎書状(信州村上義清からの依頼の件)」〔天文16年9月〕、№1「武田家定書(巣山2・3・4の3カ月禁猟の事)」〔天正9年1月〕、№10「〔入沢家戒名書立〕」〔昭和31年3月彼岸〕、№2「大戸心楽斎宛行状(渋川内八幡免ほか25貫文)」〔丁巳年4月〕、№3「北条氏直書状(改年の祝儀に感謝)」〔1月16日〕、№5「〔入沢家系図〕」〔年次不詳〕、№6「小田嶋実辰等連署書状(年始書中の礼)」〔3月25日〕、№7「小田嶋実辰等連署書状(御才覚金300両借受けの件)」〔3月14日〕、№8「小田嶋徳右衛門等連署書状(尊父病死の件並び出府の依頼)」〔3月15日〕 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録 |
関連資料 |
『渋川市誌 第5巻 歴史資料編』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 6 群馬郡(3)』など) |
利用上の留意点 |
本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |