資料区分 県史複製
請求番号 H7-6中世
文書群名 福島貞三郎家文書
伝存地 渋川市
出所 渋川市祖母島
地名 群馬郡祖母島村(近世)/西群馬郡祖母島村(明治22年)/群馬郡祖母島村(明治29年)/北群馬郡祖母島村(昭和24年)/渋川市祖母島(昭和29年~現在)
旧支配 初め高崎藩領/明暦年間(1655~1658)から幕府代官支配(幕府領)/幕末期は渋川村寄場組合に属す、慶応2年(1866)関東郡代木村甲斐守支配/明治元年(1868)前橋藩支配/同4年前橋県、第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年群馬県/同11年群馬県西群馬郡に所属
歴史 【祖母島】地名は、祖母塚と島の郷を合わせて名付けられた。昔、日本武尊が東征の帰り沼田にとどまり、上妻の媛をめとり王子が生まれ、祖母塚はその母君の塚だと伝えられる。▼島の郷とは、吾妻川に沿った東隣の川島村、西隣の箱島村と当村の3村を合わせて称していたが、和銅年間に当地は祖母島と改められたという(『群馬郡誌』)。▼【中世 うは島】戦国期に見える地名。群馬郡のうち。▼天正10年(1582)6月22日の北条家禁制(福島文書/群馬県史資料編7)は、「うは嶋・川嶋」に宛てて禁制が出されており、当地が小田原北条氏の勢力下にあったことが知られる。
伝来 福島貞三郎家
数量 3(簿冊1)
年代 天正10年(1582)壬午年6月22日~元文元年(1736)11月
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は3点。№1「北条家禁制(当郷の百姓還住の事など)」〔(天正10年)壬午年6月〕、№2「〔福島家由来書〕」〔元文元年11月〕、№3「〔建久四年春鎌倉殿の詠歌写〕」〔年次不詳〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『群馬県史 資料編7』、『渋川市誌 第5巻 歴史資料編』、『群馬郡誌』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 6 群馬郡(3)』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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