資料区分 県史複製
請求番号 H6-14-1近世
文書群名 善長寺文書
伝存地 館林市
出所 曹洞宗 善長寺
地名 邑楽郡東郷村(近世~)/邑楽郡館林町大字当郷(明治22年~)/館林市当郷町(昭和29年~現在)
旧支配 はじめ館林藩領/寛永20年(1643)幕府領/正保元年(1644)館林藩領/天和3年(1683)幕府領/宝永4年(1707)館林藩領/享保19年(1734)幕府領/元文5年(1740)館林藩領/明治4年(1871)館林県→栃木県/明治9年(1876)第2次群馬県
歴史 巨法山善長寺と号す。本尊は延命地蔵菩薩。▼寺蔵の源姓赤井系図によると、大永三年(1523)赤井家範が戦死した兄信家の菩提を弔うため、城沼北岸にある観音堂の東方に一寺を創建し、大雲惟俊を開山とした。▼信家の法名は善長寺殿。元亀元年(1570)11月赤井氏の老臣諸野(毛呂)因幡守が謀反を起こし、いったんは当寺において和議となったが、会談中謀られて一族郎党ともに自害して果てたという。▼境内の館林城主榊原忠次の生母祥室院の墓は、高さ約5mの宝筺印塔である。灯籠2基のうち1基は、寛永十年(1633)のもの。慶安元年(1648)邑楽郡大曲村内で朱印地50石を与えられた。▼二十五世寛令は、藩内佐幕派の黒幕といわれたが、明治元年(1868)館林藩が東北へ出兵する際、江戸角筈の藩下屋敷で惨殺された。▼本堂前に榊原康政の愛妾お辻主従の供養塔、右手に館林藩校道学館教授の石井わかつの墓があり、その墓誌は頼杏坪の手によるものである。
伝来 曹洞宗 善長寺に伝来。
数量 24
年代 文禄2年(1593)~明治4年(1871)
構造と内容 元和3年(1617)1月28日の「制札(当寺中の竹木伐採禁止に付)」など領主との関係を記す文書、弘化3年(1846)10月の「巨法山善長寺縁記」など寺史に関係する文書、当該地域の歴史を編んだ「館林記」(年代不詳)などで構成される。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』(上毛文庫)
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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