資料区分 県史複製
請求番号 H8-6中世
文書群名 高山徳樹家文書
伝存地 藤岡市
出所 藤岡市東平井
地名 緑野郡東平井村(近世)/緑野郡平井村大字東平井(明治22年)/多野郡平井村大字東平井(明治29年)/藤岡市東平井(昭和30年~現在)
旧支配 初め藤岡城主芦田康貞領/慶長11年(1606)前橋藩・旗本太田氏の相給/承応3年(1654)幕府・前橋藩・旗本太田氏の相給/天和元年(1681)前橋藩・旗本太田氏・旗本金田氏の相給/元禄11年(1698)旗本小泉・太田・三島・松平・近藤氏の相給、のち幕府と旗本小泉・太田・三島・近藤氏の相給/明和年間(1764~1772)より旗本小泉・太田・三島・近藤・赤松氏の相給/幕末期は新町宿寄場組合/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県
歴史 【東平井】天文20年(1532)関東管領の居城であった平井城が北条氏によって攻略されたため住民は四散したが、豊臣氏の天下統一によって鮎川を境に西を吉井領、東を藤岡領に分封されたのに伴い、西平井とともに東平井の地名がつけられた。▼【中世 東平井】戦国期に見える地名。緑野郡のうち。元亀3年(1572)6月14日の武田家朱印状(高山徳樹氏所蔵文書/群馬県史 資料編7)に、「東平井市之事、一、三日・八日・十三日・拾八日・廿三日・廿八日之事」とあって、当地には3と8の日の六斎市が開かれていた。▼天正10年(1582)6月の滝川一益判物写(高山系図所収文書/同前)には、「七十五貫文 東平井」とあって、高山重正に新給として与えられた所領のうちの一つである。
伝来 高山徳樹家
数量 1(簿冊1)
年代 元亀3年(1572)6月14日
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は1点。№1「武田家朱印状(東平井市の事)」〔元亀3年6月〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『群馬県史 資料編7』、『藤岡市史 原始・古代・中世』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 7 多野郡』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
先頭に戻ります。