資料区分 県史複製
請求番号 H8-7中世
文書群名 高山満雄家文書
伝存地 藤岡市
出所 藤岡市藤岡
地名 緑野郡藤岡町(近世)/緑野郡藤岡町(明治22年)/多野郡藤岡町大字藤岡(明治29年)/藤岡市藤岡(昭和29年~現在)
旧支配 天正18年(1590)芦田氏領/慶長5年(1600)徳川氏領、幕府領代官豊島十左衛門支配/元和5年(1619)前橋藩領/寛延2年(1749)幕府領代官伊奈半左衛門支配/宝暦2年(1752)前橋藩領/明和5年(1768)幕府領代官前沢藤十郎支配/安永3年(1774)旗本水上氏領/幕末期は新町宿寄場組合/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年群馬県
歴史 【藤岡】当地に鎮座する富士浅間神社の由緒には、文応元年(1260)日蓮聖人が常ヶ岡鮭塚に経を納め、駿河国富士山の分霊を勧請して当地の鎮守としたが、この時富士岡と書き伝えたという。▼常ヶ岡や鮭塚の位置を特定することはできないが、藤岡の広い範囲を示しているとみられる。▼「続太平記」によれば、永享10年(1439)の足利持氏の平井攻めの条に「山名・藤岡など要害の地に陣を張る・・・平井の麓藤岡の郷にぞ寄せ」、「鎌倉物語」にも「永享十一年、持氏生害のとき、上州藤岡の城主有田大舎人少属定景が謀ひて」とみえる(『藤岡町史』)。
伝来 高山満雄家
数量 2(簿冊1)
年代 永禄11年(1568)戌辰年3月13日~天正14年(1586)7月24日
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は2点。№1「武田家朱印状(神田長尾分30貫文などの代官申付け)」〔(永禄11年)戌辰年3月〕、№2「北条家朱印状(長岡・安良岡など100貫文安堵)」〔天正14年7月〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『藤岡市史 原始・古代・中世』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 7 多野郡』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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