資料区分 県史複製
請求番号 H8-9中世
文書群名 田沼操家文書
伝存地 藤岡市
出所 藤岡市下栗須
地名 緑野郡下栗須村(近世)/緑野郡神流村大字下栗須(明治22年)/多野郡神流村大字下栗須(明治29年)/藤岡市下栗須(昭和29年~現在)
旧支配 初め藤岡城主芦田康貞領/慶長11年(1606)幕府領/元和5年(1619)前橋藩領/明和7年(1770)幕府領/文化9年(1812)から旗本井上・横田・小幡氏の相給/幕末期は新町宿寄場組合/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県
歴史 【下栗須】地名は、御厨の所在厨巣に由来するといわれる(神流村郷土誌)。日蓮が佐渡へ流される往路の文永8年(1271)と復路の同10年に、当地の長谷川長源に親しく説教をしたといわれる祖師堂がある。田沼家には、その時日蓮が与えたという門標が秘蔵されている。▼【中世 下栗須】戦国期に見える地名。緑野郡のうち。戦国期の永禄2年(1559)に集大成された「小田原衆所領役帳」の金山図書助の所領役高として「六拾貫文 上州下栗須小林土佐分」と見える。▼なお、天正14年(1586)正月吉日の神明宮造営勧進帳(新町 佐々木家文書/多野藤岡地方史 各説編)に見える「下ノ郷」は、当地に比定される。
伝来 田沼操家
数量 2(簿冊1)
年代 元亀2年(1571)11月1日~天正7年(1579)7月
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は2点。№1「武田家定書(奉公に付西上州一所宛行の約束)」〔元亀2年11月〕、№2「武田家官途状」〔天正7年7月〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『藤岡市史 原始・古代・中世』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 7 多野郡』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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