資料区分 県史複製
請求番号 H8-16-1近世
文書群名 小林小五郎家文書
伝存地 藤岡市
出所 藤岡市中大塚 小林家
地名 上野国緑野郡中大塚村/岩鼻県緑野郡中大塚村(明治元年~)/群馬県緑野郡中大塚村(明治4年~)/熊谷県緑野郡中大塚村(明治6年~)/群馬県緑野郡中大塚村(明治9年~)/緑野郡美土里村大字中大塚(明治22年~)/多野郡美土里村大字中大塚(明治29年~)/藤岡市中大塚(昭和29年~)
旧支配 天正18年(1590)芦田氏領/慶長6年(1601)徳川氏領/寛永7年(1630)幕府・旗本渡辺氏の相給/元禄11年(1698)旗本の鳥居・弓気多氏の相給/幕末期は新町宿寄場組合/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県
役職等 近世中大塚村名主・組頭
歴史 古くは上・中・下の大塚村は一村で大前村と称したといい、一帯は高山御厨内で大塚郷と称された。永禄6年に武田氏と北条氏の申し合わせによって安保氏に与えられた土地に「中大塚杉文」がある。用水は上大塚村・下大塚村と本動堂村4ヵ村で組合を作り、鮎川堀を利用。小林家は秩父氏を出自とし、高山重遠の第二子小林重幸およびその嫡子重弘らより代々武士として活躍したが、天文10年に衛重が土着帰農したという。▼江戸時代、村高は『寛文郷帳』では1056石余、田方345石余・畑方711石余。助郷は中山道新町宿に出役、伝馬宿入用金を上納した。幕末の改革組合村では新町宿寄場組合に属し、高1061石余・家数81軒であった。明治3年では葉煙草・葉藍・芋などが生産されていたようである。▼なお小林家については『群馬県立文書館収蔵文書目録 3』解題を参照していただきたい。 《参考文献》『角川日本地名大辞典 10』▼小林家の屋敷地は堀をめぐらした城郭址(中大塚城跡)となっている。村内の千手寺は中大塚城主小林氏の祈願寺と伝わる。
数量 62
年代 天正19年(1591)~明治5年(1872)頃
構造と内容 天正19年の水帳(検地帳)のほかは寛文4年以降の文書である。年貢割付状、皆済目録、村差出明細帳など。中山道新町宿助郷議定書もある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 当館所蔵の同家の原本として「小林小五郎家文書」(P8117)、複製資料として「小林小五郎家文書」(H8-4中世)、「小林小五郎家文書」(H8-16-1近世)がある。参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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