資料区分 県史複製
請求番号 H8-29-1近世
文書群名 黒澤一郎家文書
伝存地 藤岡市高山
出所 藤岡市高山 黒沢家
地名 緑埜郡高山村/第十四大区第十一小区/緑野郡美九里村/多野郡美九里村/藤岡市高山
旧支配 幕府直轄領/旗本領(筒井氏)/館林藩域外藩分領ほか/岩鼻県/第一次群馬県/熊谷県/群馬県
役職等 天保年間(九兵衛の代)に緑野郡高山村名主職など
歴史 「黒沢家由来書」によると、始祖を藤原鎌足に求め、本姓を藤原氏としている。その末葉の黒沢主計頭が武田信玄に仕え、緑埜郡牛田、白塩、矢場、根岸および多比之郷を領し、同姓黒沢五郎兵衛の子孫が以後白塩に住するようになったと伝える。その子兵部丞は武田氏の没落後、北条氏に仕え、さらに大坂の陣に際し酒井雅楽頭の旗奉行となったという。▼『群馬県立文書館収蔵文書目録』3も参照されたい。
数量 26
年代 元禄9年(1696)~慶応4年(1868)頃
構造と内容 元禄9年の検地帳ほかは文化10年以降の文書である。「入置申頼母子議定之事(未年凶年にて頼母子休年に付)」、「乍恐以書付奉願上候(百姓の直訴一件宥免願)」などがある。ほかに俳諧関係の資料もある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 当館所蔵の同家の原本として「黒沢一郎家文書」(P8201)、複製資料として「黒沢一郎家文書」(H8-29-3近現)がある。『群馬県立文書館収蔵文書目録』3も参照されたい。参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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