資料区分 県史複製
請求番号 H8-29-2近世
文書群名 高山吉重家文書
伝存地 藤岡市高山
出所 藤岡市高山 高山家
地名 上野国緑野郡高山村/岩鼻県緑野郡高山村(明治元年)/群馬県緑野郡高山村(明治4年)/熊谷県緑野郡高山村(明治6年)/群馬県緑野郡高山村(明治9年)/群馬県緑野郡美九里村大字大字高山村(明治22年)/群馬県多野郡美九里村大字高山村(明治29年)/群馬県多野郡美九里村大字高山(大正6年)/群馬県藤岡市大字高山(昭和29年~現在)
旧支配 元は椚山・悪矢場・沢口・白塩の4か村に分かれていたが、寛文~元禄年間に合併して高山村となった。初め幕府領/元禄11年(1698)から旗本の筒井氏領/幕末期は新町宿寄場組合/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県
歴史 高山家は、高山三郎重遠(平良文を祖とする)を祖とする武士であり、平井城主上杉氏をはじめ武田氏・北条氏などに仕えたが、江戸時代に帰農したようである。▼天保元(1830)年緑野郡高山村に生まれた長五郎は、幕末期から養蚕飼育法の工夫・研究を行い、明治初年には清温育法という飼育法を発見した。また、養蚕技術の普及啓発に務め、明治3(1870)年に高山組を、明治17(1884)年に高山社を設立して、養蚕飼育法を伝授した。▼なお高山社は、優秀な門弟を授業員(教授員)として他所へ派遣し指導させ、その教えを受けたものを社員とするとともに組織を拡大し、明治34(1901)年には私立高山社蚕業学校となっている。世界遺産に登録された。
数量 29
年代 慶長3年(1598)~明治9年(1876)
構造と内容 検地帳など土地に関する文書、御用留がある。「借用申金子証文之事」も多い。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 当館所蔵の同家の資料としてマイクロフィルム収集文書「藤岡市高山高山家文書」(PF9102)、群馬県史収集複製資料「高山吉重家文書」(H8-29-2近現)など。ほかに『群馬県立歴史博物館所蔵資料目録 高山社・蚕業学校関係資料』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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