| 資料区分 | 県史複製 | 
| 請求番号 | H9-2-2近世 | 
| 文書群名 | 大里はつ家文書 | 
| 伝存地 | 富岡市七日市 | 
| 出所 | 富岡市 大里はつ家 | 
| 地名 | 甘楽郡七日市村・七日市町(近世)/北甘楽郡七日市村(明治11年~)/富岡町七日市(明治22年~)/富岡市七日市(昭和29年~) | 
| 旧支配 | 七日市藩前田家 | 
| 役職等 | 七日市藩士(前田家臣) | 
| 歴史 | 大里家は七日市藩前田家の家臣であった。寛文九年(1669)の「道中行列」(『群馬県史』資料編9所収)の末尾に御家老大里半右衛門の名がみえ、また保阪家文書の「御家中分限帳」には231石取とある。▼七日市は鏑川左岸の河岸段丘上に位置する。近世初期は小幡藩領、元和2年から七日市藩領。藩の陣屋は当地域の西端にあった。 | 
| 数量 | 23 | 
| 年代 | 寛永11(1634)年~明治2(1869)年 | 
| 構造と内容 | 年代のわかる最も古い文書は、寛永11(1634)年の「鐘銘(貫前神社)」、次いで元禄7(1694)年の「服忌令」である。▼大里家文書は、七日市藩政史料として保阪家文書とともに貴重な文書である。▼戊辰戦争に関する「手扣(戸倉表出兵の姓名書他)」、「徳川吉宗御内書(重陽の祝儀に付)」などもある。 | 
| 検索手段 | 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録 | 
| 関連資料 | 同家に関する当館所蔵の資料は、マイクロ収集文書「富岡市七日市大里家文書」(PF8802)がある。また、同じ七日市藩政史料として、マイクロ収集文書「富岡市七日市保阪家文書」(PF8801)がある。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) | 
| 利用上の留意点 | 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |