資料区分 県史複製
請求番号 H9-1中世
文書群名 實相寺文書
伝存地 富岡市
出所 富岡市南蛇井
地名 甘楽郡南蛇井村(近世)/北甘楽郡南蛇井村(明治11年)/北甘楽郡吉田村大字南蛇井(明治22年)/甘楽郡吉田村大字南蛇井(昭和25年)/富岡市南蛇井(昭和29年~現在)
旧支配 初め丹波国園部藩領/元禄元年(1688)から幕府領/幕末期は七日市村・一ノ宮町両寄場組合に属す/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県/同11年群馬県北甘楽郡に所属
歴史 【實相寺】天台宗。法性山妙法教院と号す。本尊は釈迦牟尼仏。寺伝によると、文徳天皇の皇子惟喬親王が貞観14年(872)上野太守として下向した折に、当山の霊地なるを賞で、一夏九旬の間、籠山修行したことにより、惟喬道場ともいう。▼元慶4年(880)天台座主法性坊尊意を開山とし、山号は開山の名にちなむ。▼2世尊興のとき堂塔が備わった。▼建久8年(1197)源頼朝は法灯の衰えるをみて中里村より大境までのうち永代50貫文の地を寄付し、天下泰平・国家安寧・五穀豊穣を祈願させたという(實相寺記録)。▼西上野甘楽之郡五箇之大寺之配立列座には「光明院東発心門華厳、勧学寺北涅槃門阿含、西之坊南修行門般若、東之坊西菩提門方等、實相寺中央無位法華」とある。▼穴太流法会では、實相寺を上座とし、左に勧学寺、右に光明院・西之坊・東之坊を配し、蓮華流法会では勧学寺を上座とし、左に實相寺、右に光明院・西之坊・東之坊を配したとあって(同前)、5か寺の関係が知られる。▼寛文3年(1663)に記され明治27年(1894)書写の法性山天神之縁起があり、開山の尊意は菅原道真の師で、道真の死を悼み道真3歳の像を刻み祀ったと伝える。
伝来 實相寺
数量 3(簿冊1)
年代 文亀3年(1503)3月写~文禄12年(間違い、原本で確認)
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は3点。№2「潅頂私見聞(公田山乗明院法印覚円)」〔文亀3年3月写〕、№3「実相寺記録(法性山妙法教院実相禅寺)」〔文禄12年〕、№1「実相寺末門開山之記」〔年次不詳〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『富岡市史 原始・古代・中世編』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 8 甘楽郡(1)』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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