資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H10-14-1近世 |
文書群名 |
萩原弥六家文書 |
伝存地 |
安中市 |
出所 |
安中市東上磯部 萩原弥六家 |
地名 |
上野国碓氷郡東上磯部村/岩鼻県碓氷郡東上磯部村、群馬県碓氷郡東上磯部村(明治4年・1871年)/熊谷県碓氷郡東上磯部村(明治6年)/群馬県碓氷郡東上磯部村(明治9年)/碓氷郡磯部村大字東上磯部(明治22年)/碓氷郡磯部町大字東上磯部(昭和11年・1936年)/碓氷郡安中町大字東上磯部(昭和30年)/安中市東上磯部(昭和33年・1958年)~現在 |
旧支配 |
旗本仙石氏領(近世初期)/幕府領(寛文9年・1669年)/吉井藩領、旗本竹田氏領・牧村氏領・大久保氏領・酒井氏領・久松氏領の相給(宝永6年・1709)/岩鼻県(明治元年)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月~)/熊谷県(明治6年・1873~)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在) |
歴史 |
検地は、慶安2年(1649)と寛文3年(1663)・同4年に実施。「上野国郡村誌」によると、当村と西上磯部村・上磯部村・下磯部村・鷺宮村は、もと一村で、慶長年間に分村し、それぞれ一村になったという。但し、「寛文郷帳」では、西上磯部村と合わせて上磯部村とされ、「元禄郷帳」で東上磯部村と記されて村高1,010石余、「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」とも同高。幕末の改革組合村高帳によって相給状況をみると、吉井藩松平氏分218石余、旗本竹田氏分397石余・牧村氏分102石余・大久保氏分102石余・酒井氏分95石余・久松氏分95石余で、問題が生じた場合は松平氏と竹田氏が意見調整にあたった。宝永7年(1710)から中山道松井田宿の定助郷村となる。戸口は、慶安2年111軒・484人、文政10年(1827)129軒・521人、明治2年(1869)110軒・517人(うち男266・女251)。幕末の改革組合村高帳では安中宿寄場組合に属し、高1,010石余、家数103。名主は、萩原四家・上原家・堀口家が勤めた。鎮守は磯部神社。寺院は曹洞宗松岸寺。助郷による伝馬諸役は、農民負担を増し、天保元年(1830)には伝馬役銭をめぐる騒動が発生した。文久元年(1861)には伝馬不勤問題の訴訟が起きた。慶応4年(1868)、吉井宿に始まった打ち毀しは当村内にも及び、質屋・穀屋・酒屋などが打ち毀しの対象となった。明治11年、萩原音吉・萩原鐐太郞らは、生糸改良を目的とする組合製糸「碓氷社」を設立した。初め碓氷座繰精糸社と呼んだ。 |
伝来 |
安中市東上磯部 萩原弥六家 |
数量 |
433 |
年代 |
慶安2年(1649)12月~大正4年(1915)9月 |
構造と内容 |
上磯部村検地田帳(慶安2年)、上州吉井領上磯部村卯新畑改帳(延宝3年)、御仕置五人組(元禄8年)、村明細帳(明和7年)、御伝馬定連判帳(伝馬不心得に付触請書、安永9年)、御触書に付村中連印帳(百姓打毀し一件取締り、天明元年)、村中連印帳(浅間焼け一件入用割合に付、天明3年)、御触書に付村中連印帳(在方にて徒党の者取締りに付、天明3年)などがある |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |