資料区分 県史複製
請求番号 H10-19-1近世
文書群名 高橋哲男家文書
伝存地 安中市
出所 安中市上間仁田 高橋哲男家
地名 上野国碓氷郡上間仁田村/岩鼻県碓氷郡上間仁田村、群馬県碓氷郡上間仁田村(明治4年・1871年)/熊谷県碓氷郡上間仁田村(明治6年)/群馬県碓氷郡上間仁田村(明治9年)/碓氷郡東横野村大字上間仁田(明治22年)/碓氷郡安中町大字上間仁田(昭和30年)/安中市上間仁田(昭和33年・1958年)~現在
旧支配 はじめ旗本座光寺氏領/幕府領(慶長6年・1601年)/幕府領・旗本大草氏領の相給(天和2年・1682)/幕府領・各藩領/幕府領・旗本大草氏領・旗本曽根氏領の相給/岩鼻県(明治元年・1868年)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月)/熊谷県(明治6年・1873)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 村高は、「寛文郷帳」522石余のうち田方230石余・畑方292石余、「元禄郷帳」559石余、「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」とも582石余。検地は、元和3年(1617)10月の大野頼母によるものが最初という(『東横野村誌』)。元禄10年(1697)から中山道松井田宿の大助郷16か村の一つとなり、後定助郷16か村の一つとなった。その勤め高は525石であった(『松井田町誌』)。当村は、米作の他、大麦・豆・粟・蕎麦・菜種・稗・黍・胡麻・荏などの農作物を生産した。幕末の改革組合村高帳では、安中宿寄場組合に属し、高560石・家数49であった。
伝来 安中市上間仁田 高橋哲男家
数量 4
年代 享保17年(1732)11月~明治8年(1875)
構造と内容 上野国碓氷郡上間仁田村見取場検地帳(享保17年)、上野国碓氷郡上間仁田村様子書帳(元文3年)、上野国碓氷郡上間荷田村原地新田検地帳(延享3年)、熊谷県小学生徒人員及学費表(明治9年)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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