資料区分 県史複製
請求番号 H10-21-1近世
文書群名 中嶋愛太郎家文書
伝存地 安中市
出所 安中市岩井 中嶋愛太郎家
地名 上野国碓氷郡岩井村/安中県碓氷郡岩井村(明治4年・1871年6月)/群馬県碓氷郡岩井村(明治4年・1871年10月)/熊谷県碓氷郡岩井村(明治6年)/群馬県碓氷郡岩井村(明治9年)/碓氷郡岩野谷村大字岩井(明治22年)/碓氷郡安中町大字岩井(昭和30年・1955年)/安中市岩井(昭和33年・1958年)~現在
旧支配 安中藩領(近世)/安中県(明治4年・1871年7月)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月)/熊谷県(明治6年・1873)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 村高は、「寛文郷帳」526石余のうち田方284石余・畑方241石余、「元禄郷帳」563石余、「天保郷帳」563石余、「旧高旧領取調帳」526石余。なお、「旧高旧領取調帳」では、高のうち富士・白山・諏訪の3社領37石が見えるが、江戸初期の「上野国前帳」の37石は、天台宗常楽寺領となっている。寺院は、他に真言宗昌井寺がある。宝永7年(1710)安中宿調助郷御証文写(「安中宿本陣文書」)によると、当村は安中宿大助郷19か村の一つで、勤め高111石を以て必要に応じて伝馬を分担していたが、後に定助郷村に改められた。明和2年(1765)安中宿助郷人馬割付覚帳によると、人足寄せ高1,069石に対し割付1,150石で81人不足、馬寄せ高631石に対し割付528石で103頭の過重となっている。寛延2年(1749)の村差出帳(「中島家文書」)では、寛文3年(1663)安中藩主水野氏の検地が実施され、高526石余、反別53町9反余、以後川欠による田畑の増減があり、正徳4年(1714)には田方26町余、このうち24町余は二毛作、1町余が一毛作であった。米の他、上綿215匁、下麻1貫100匁、大豆23俵、荏5俵、小豆7升余、荒麦3斗3升、萱26駄、渋柿7斗などの生産があった。家数143軒・寺2、人数689人のうち男359人・女324人、出家6人、馬38疋。枝村として、西村・中村・東村があった。幕末の改革組合村高帳では、安中宿寄場組合に属し、高5218石余・家数74であった。
伝来 安中市岩井 中嶋愛太郎家
数量 40
年代 慶長6年(1601)11月~明治3年(1870)5月
構造と内容 西上州臼井郡岩井村御検地帳(慶長6年)、村内産物諸色銘細書上帳(寛延3年)、岩井村差出銘細書上(安永2年)、差上申一札之事(上州村々百姓共騒ぎ立て一件吟味請書、天明2年)、差出シ申一札之事(上野尻町・谷津町絹市一件請書忘却に付、安政3年)、などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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