資料区分 県史複製
請求番号 H10-27-1近世
文書群名 真砂卓子家文書
伝存地 安中市
出所 安中市西上秋間 真砂家
地名 上野国碓氷郡上秋間村/岩鼻県碓氷郡上秋間村(明治元年・1868年)/群馬県碓氷郡上秋間村(明治4年・1871年10月)/熊谷県碓氷郡上秋間村(明治6年)/群馬県碓氷郡上秋間村(明治9年)/碓氷郡秋間村大字上秋間(明治22年)/碓氷郡安中町大字上秋間村(昭和30年・1955年)/安中市上秋間(昭和33年・1958年~現在)
旧支配 初め安中藩領/幕府領(天和元年・1681年)/旗本喜多見氏領(貞享元年・1684年)/幕府領(元禄元年・1688年)/旗本米倉氏領(元禄5年・1692年)/岩鼻県(明治元年・1868年)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月~)/熊谷県(明治6年・1873~)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 上秋間村が、西上秋間村と東上秋間村に分村して成立した。「上野国郡村誌」は、慶長8年(1603)に東上秋間村と西上秋間村に分村して成立したと記すが、郷帳類には上秋間村と記されている。村高は、「旧高旧領取調帳」518石余。但し、内部では上秋間村は古くから二分されていたと思われ、うち当村に相当する地は西郷などと呼ばれていた。寛文3年(1663)水野備前守による検地が実施され、西上秋間字臼沢に18か村(西上秋間・東上秋間・中秋間・下秋間・中後閑・下後閑・原市・嶺・簗瀬・小俣・古屋・高別当・上野尻・谷津・常木・下野尻・中宿・岩井)の入会秣場が定められた。その利用に当たっては、地元西上秋間名義で炭窯1個につき銀2分を納めて製炭権を得たとされる。明治4年(1871)、入会から6か村が脱退、新たに上後閑村が加わって、秋間4か村と後閑3か村、原市・簗瀬・嶺・小俣・古屋・高別当の6か村、計13か村に秣場公有地の地券が交付された(『安中市誌』)。妙義神社と榛名神社を結ぶ参詣道が村内を通り、二軒茶屋・三軒茶屋の茶店があったことから、二軒茶屋・三軒茶屋の地名が残る。後閑と秋間の境の佐野尻峠を経て三軒茶屋に入ると、加沼(鹿沼)に地蔵堂があり、ここで人馬の継ぎ立てが行われた。天保年間(1830~1844)、二軒茶屋に松屋・多胡屋・沢潟屋、三軒茶屋に港屋・桔梗屋・竜屋・藤屋の旅籠があった。天保15年(1844)、関東取締出役によって本街道に遠い脇往還での旅籠屋営業が禁止されたが、当地は榛名へ4里、妙義へ3里余り振り分け場所ということで、1軒だけ特別に許可された。ところが、二軒茶屋には3軒、三軒茶屋には4軒の茶屋があったので、1日交代で商売をするので1軒として認めて欲しいという歎願書が名主に提出された(『安中市誌』)。
伝来 安中市西上秋間 真砂家
数量 56
年代 元禄10年(1697)11月~安政6年(1859)9月
構造と内容 上野国碓氷郡西上秋間村丑年貢可納割付之事(元禄10年)、騒動除郷印帳(天明元年)、奉差上御請書之事(浅間焼け被害に付年貢二割五分引方請書、天明8年)、などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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