資料区分 県史複製
請求番号 H10-31-1近世
文書群名 中島道夫家文書
伝存地 安中市
出所 安中市上後閑 中島道夫家
地名 上野国碓氷郡上後閑村/安中県碓氷郡上後閑村(明治4年・1871年7月)/群馬県碓氷郡上後閑村(明治4年・1871年10月)/熊谷県碓氷郡上後閑村(明治6年)/群馬県碓氷郡上後閑村(明治9年)/碓氷郡後閑村大字上後閑(明治22年)/碓氷郡安中町大字上後閑(昭和30年・1955年)/安中市上後閑(昭和33年・1958年~現在)
旧支配 安中藩領/安中県(明治4年・1871年7月)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月)/熊谷県(明治6年・1873)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 検地は、慶長6年(1601)・寛文3年(1663)・寛文4年などに実施された。村高は、「寛文郷帳」628石余のうち田方240石余・畑方388石余、「元禄郷帳」691石余、「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」ともに691石余。宝永7年(1710)より、当村は中山道坂本宿の定助郷を勤めた。名主は、中島家が世襲した。鎮守は榛名神社、寺院は曹洞宗長源寺・真言宗満行寺があった。長源寺は、後閑城主依田信濃守政知を開基とする古刹であり、政知の寺領寄進状が残されている。寺領30石(「旧高旧領取調帳」)。満行寺は、源義国を開基とし、寺領33石余。鎌倉期のものとされる地蔵菩薩像1体・神像3体・役行者像1体・天部立像3体の計8体の木造があり、県指定重要文化財となっている。長源寺の裏山一帯は、安中藩主井伊直勝から13代200年に渡って、家督相続年またはその翌年、歴代藩主が猪狩りをするのが通例となっていた(『安中市誌』)。幕末の改革組合村高帳では、松井田宿寄場組合に属し、高628石余・家数110であった。
伝来 安中市上後閑 中島道夫家
数量 6
年代 安永6年(1777)9月~明治23年(1890)1月
構造と内容 御触書(強訴・徒党・逃散等は御法度の旨請書、安永6年)、安中領中後閑村真言宗人別改帳下控え、文政10年)、田畑山藪御年貢諸上納取付帳(嘉永5年)、などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
先頭に戻ります。