資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H11-9-2近世 |
文書群名 |
藤木正益家文書 |
伝存地 |
北橘村(現渋川市) |
出所 |
渋川市北橘町真壁・藤木家 |
地名 |
上野国勢多郡真壁村/前橋県、群馬県勢多郡真壁村(明治4年)/熊谷県勢多郡真壁村(明治6年)/群馬県勢多郡真壁村(明治9年)/南勢多郡真壁村(明治11年)/南勢多郡北橘村大字真壁(明治22年)/勢多郡北橘村大字真壁(明治29年)/渋川市北橘町真壁(平成18年・2006年) |
旧支配 |
前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県 |
歴史 |
村高は、「寛文郷帳」は箱田村一村。、「元禄郷帳」286石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに348石余。元禄2年(1689)の水帳によると、家数51、286石余、田18町余。近世を通じて新田開発は、田約5反・畑16町4反であった。寛延2年(1749)の村明細帳によると、高337石余のうち田18町余・畑34町8反余。近郷の市場は、前橋・白井。御林4か所。薪・秣は赤城山にて入会。郷蔵1、堰14、橋5。畑には大小麦・大小豆などを作る。除地は玉泉寺・宝蔵寺・木曽三社明神社地など。家数65(本百姓)、人数253のうち男138・女115、馬21。天保11年(1840)の明細帳では、高348石余、蚕を飼い蛹糸にして1年に30~33両ほどを前橋へ出す。家数49、人数168のうち男86・女82、馬14と減少。 |
伝来 |
渋川市北橘町真壁・藤木家 |
数量 |
3 |
年代 |
寛政11年(1799)2月~慶応4年(1868)3月 |
構造と内容 |
江戸大目付御用御触写、定(徒党禁止)、定(切支丹制禁)がある |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |