資料区分 県史複製
請求番号 H12-1-1近世
文書群名 持柏木区有文書
伝存地 赤城村(現渋川市)
出所 渋川市赤城町持柏木
地名 上野国勢多郡持柏木村/前橋県、群馬県勢多郡持柏木村(明治4年)/熊谷県勢多郡持柏木村(明治6年)/群馬県勢多郡持柏木村(明治9年)/南勢多郡持柏木村(明治11年)/南勢多郡横野村大字持柏木(明治22年)/勢多郡横野村大字持柏木(明治29年)/勢多郡赤城村大字持柏木(昭和31年)/渋川市赤城町持柏木(平成18年・2006年)
旧支配 前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」122石余、うち田方97石余・畑方24石余、「元禄郷帳」・「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに148石余。寛延2年(1749)の村明細帳によると、144石余、反別は田11町余・畑28町余の計40町余。延享3年(1746)まで検見取り、同4年から定免法。他に小物成として草12駄・萱12駄・割木5束・縄40房・筵4枚、高請け役反当たり252文余。村役人は、名主1・組頭3・百姓代1・定使1。御蔵屋敷が年貢地内にあり、村民が交代で当番。小橋が6か所あり、村普請。沼田街道の橋2か所・天竜川普請・9か所の堰普請の人足・材料とも領主負担。家数57(本百姓)・人口225・馬数11。村のやや西よりを沼田街道が南北に貫通。家屋は、東側に19、西側に11、計30軒が密集。巡見使通行時のみ加助郷。村の北寄りに柏木山極楽院西善寺があった。田の仕付は半夏頃で、反当たり9升ほど播種。肥料は、干鰯・豆たま・小草。畑作は、麦・粟・稗で、桑を少々植え付け、養蚕を行った。産繭は前橋の市場に出し、年間15両余。秣・薪は、赤城山の入会地で採取。農閑期は、男は入会山で薪取り、女は糸撚りをした。文化年間(1804~1818)、極楽院住職の周弁が寺子屋(読み・書き、寺子80余)、幕末には俳人狩野花交が山水舎(読み・書き・算盤、寺子53)を開いた。周弁は多くの者に慕われ、極楽院境内に筆子塚がある。
伝来 渋川市赤城町持柏木
数量 36
年代 元禄2年(1689)4月~明治3年(1870)6月
構造と内容 五人組御改ニ付一札之事(元禄2年)、銘細帳(寛延2年)、御林連判帳(寛政9年)がある
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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