資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H10-1中世 |
文書群名 |
小林壮吉家文書 |
伝存地 |
安中市 |
出所 |
安中市安中 |
地名 |
碓氷郡安中町(近世)/碓氷郡安中町安中(明治22年)/安中市安中(昭和33年~現在) |
旧支配 |
安中藩領/幕末期は安中宿寄場組合の寄場/明治4年(1871)安中県、第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県 |
役職等 |
安中藩板倉家家臣、郡奉行。 |
歴史 |
中世は武田家の家臣。近世は安中藩士。幕末に郡奉行を務めた。▼【安中】「和名抄」碓氷郡野後郷の故地で、「延喜式」にも東山道五駅の一つとして野後駅がみえる。▼江戸期には、上野尻村・下野尻村があった。地名の由来は、戦国期に安中忠政が当地(現安中小学校辺)に築城して入り、自らの姓をとって安中城としたのが始まりといわれている(「安中志」)。▼【中世 安中】弘治2年(1556)11月16日の古河公方足利義氏感状案(武州文書/県史 資料編7)に「今度於上州安中城働之所」と見え、森孫八郎の当地での戦功を賞している。また、当地には城が築かれていたことがわかる。▼永禄年間(1558~1570)には武田・上杉の間で攻防が繰り返された。永禄7年(1564)と推定される年未詳2月1日の上杉輝虎判物写(内閣文庫所蔵富岡家文書/同前)には「於彼口安中得大利」と見え、武田信玄の諏訪(松井田城)攻めに対して上杉方は当地へ攻め入り戦功をあげた。▼しかし、同年5月17日の鎌原重春宛武田信玄書状写(鎌原系図所収文書/同前)に「倉賀野・諏訪・安中之苗代薙払」と、また同年と推定される年未詳9月15日の太田資矩書状(白川文庫/同前)には「武田信玄上州出張、安中之地被属本意候」と見え、当地が武田氏の勢力下に入ったことが知られる。 |
伝来 |
小林壮吉家 |
数量 |
9(簿冊1) |
年代 |
永禄10年(1567)丁卯年12月4日~明治18年(1885)12月写 |
構造と内容 |
県史収集複製資料として公開している本文書群は9点。№2「武田家朱印状(城用を除き屋敷の竹木の伐採禁止)」〔(永禄10年)丁卯年12月〕、№1「武田家定書写(欠落の被官召返しの事)」〔天正4年5月〕、№9「小林系図」〔天正6年3月〕、№6「開山語録(長松寺開山畳嶂禅師語録行状)」〔貞享5年7月〕、№7「安中根元以来留日記(安中城主変遷・大道寺駿河守家臣一覧他)」〔(寛延2年カ)〕、№8「安中根元以来記(安中氏系図・歴代城主由緒書など)」〔天明8年5月写〕、№5「〔武田晴信感状・重田氏家系他写〕」〔明治18年12月写〕、№3「北条家朱印状写(諸武具の飾り統一の掟)」〔7月9日〕、№4「三木左兵衛書状(良馬をお目にかけたき旨)」〔11月12日〕 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録 |
関連資料 |
『群馬県史 資料編7』、『安中市史 原始・古代・中世資料編』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 10 碓氷郡』など) |
利用上の留意点 |
本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |