資料区分 県史複製
請求番号 H10-2中世
文書群名 長源寺文書
伝存地 安中市
出所 安中市上後閑
地名 碓氷郡上後閑村(近世)/碓氷郡後閑村大字上後閑(明治22年)/碓氷郡安中町上後閑(昭和30年)/安中市上後閑(昭和33年~現在)
旧支配 安中藩領/幕末期は松井田宿寄場組合に所属/明治4年(1871)安中県、第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県
歴史 【長源寺】曹洞宗。山号は青木山。本尊は、釈迦牟尼仏。嘉吉3年(1443)希明清良の開山で、開基は後閑城主依田政知という。▼文明2年(1470)依田信濃守全棟入道は長源寺へ「三木之郷門前屋敷八人江為輿昇免十六貫文之所并納所免一貫八百文之所」を寄進した(長源寺文書/群馬県古城塁址の研究補遺篇)。▼文明12年に天英祥貞が入寺し3世となり、明応3年(1494)に明室啓三に譲っている(竜雲寺文書/曹洞宗古文書下)。▼弘治元年(1555)に後閑城主新田信純が再興し、三木で15貫文と門前屋敷8人、下郷内で20貫文と百姓4人を寄進した(後閑文書/群馬県古城塁址の研究補遺篇)。▼文化元年(1804)に山火事のため建物・寺宝・古文書などを焼失し、40年後に再建された。寺の裏山は、安中藩主板倉氏が代替わりごとに行った猿鹿追いの山である。
数量 8(簿冊1)
年代 文明2年(1470)3月5日~寛政2年(1790)10月
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は8点。№2「依田信濃守定書(下郷内などの寄進)」〔文明2年3月〕、№3「依田信濃守定書(三木郷内の寄進)」〔文明2年10月〕、№1「新田伊勢守定書(下郷内などの寄進)」〔弘治元年9月〕、№4「徳川家光朱印状写(後閑村内30石分)」〔寛永19年9月〕、№7「〔歴代住職行状録写〕(希明・大見・天英禅師他)」〔寛文11年1月〕、№5「〔依田家系図抜書〕」〔宝暦2年2月〕、№8「〔長源寺開基希明禅師三百五十年忌追悼文〕」〔寛政2年10月〕、№6「長源歴住(歴代住職系譜)」〔年次不詳〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『安中市史 原始・古代・中世資料編』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 10 碓氷郡』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
先頭に戻ります。