資料区分 県史複製
請求番号 H12-17-1近世
文書群名 堤和多三家文書
伝存地 赤城村(現渋川市)
出所 渋川市赤城町棚下・堤家
地名 上野国勢多郡棚下村/前橋県、群馬県勢多郡棚下村(明治4年)/熊谷県勢多郡棚下村(明治6年)/群馬県勢多郡棚下村(明治9年)/南勢多郡棚下村(明治11年)/南勢多郡敷島村大字棚下(明治22年)/勢多郡敷島村大字棚下/勢多郡赤城村大字棚下(昭和31年)/渋川市赤城町棚下(平成18年・2006年~現在)
旧支配 前橋藩領/明治4年前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」は畑方129石余、「元禄郷帳」・「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに133石余。弘化元年(1844)に大火があり、上3軒・下3軒を残し全焼したと伝わる。この大火で、村の記録が全て焼失したという。鎮守は十二宮、祭神は大山祇神。幕岩断崖に居久保沢などから流出する細い流れが雄滝・雌滝2条の瀑布をつくる。安政元年(1854)、名主・堤吉五郎が寺子屋を開き、読み書きを教授し、寺子23人であった。
伝来 渋川市赤城町棚下・堤家
数量 9
年代 天明5年(1785)4月~文化4年(1807)8月
構造と内容 乍恐奉願上候一札之事(不動堂再建立願、天明5年)、〔和算書〕(文化4年)(明治3年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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