資料区分 県史複製
請求番号 H11-1中世
文書群名 木曽三社神社文書
伝存地 北橘村(現渋川市)
出所 旧勢多郡北橘村下箱田(現渋川市北橘町下箱田)
地名 勢多郡下箱田村(近世)/南勢多郡下箱田村(明治11年)/南勢多郡北橘村大字下箱田村(明治22年)/勢多郡北橘村大字下箱田(明治29年)/渋川市北橘町下箱田(平成18年~現在)
旧支配 寛永年間(1624~1644)に箱田村から分村して成立。前橋藩領/明治4年(1871)前橋県、第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県/同11年群馬県南勢多郡に所属
歴史 【下箱田】地内にある箱田城跡は、頂上部に濠・土居をめぐらした小砦で、昭和47年(1972)村史跡に指定された。鎮守木曽三社神社は、赤城山麓の地下水の湧出点にあり、かつては滝の宮といわれ、木曽義仲遺臣の土着伝承がある。▼【木曽三社神社】木曽三社神社の祭神は、須佐之男命・彦火々出見命・宇気母智神。境内に良質の湧水があり、各所に滝をつくり出していたので、滝の宮とも呼ばれている。▼社伝によると、木曽義仲が平家を討って入京し、後白河院と反目して源義経に近江国で討たれた後、元暦年間(1184~1185)に、その遺臣である今井・高梨・町田・小野沢・萩原・諸田・串淵などの各氏が、鎌倉幕府の追求を逃れてこの地に土着し、木曽義仲が尊敬していた信濃国の延喜式内社の岡田神社・沙田神社・阿礼神社の3社を勧請して創建したという。▼その後、武将の崇敬が篤く、管領上杉憲顕は神田を寄進し、上杉謙信・白井城主長尾氏らは武運を祈願したと伝えられる。江戸期には、前橋藩主は代々公費で社殿を修造するなどして保護し、社領・額などを寄進している。▼現在の社殿は、明治初年に建てられたもので、明治29年(1896)県社に列格された。
伝来 木曽三社神社
数量 2(簿冊1)
年代 天正19年(1591)6月~宝暦3年(1753)3月
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は2点。№1「三日市大夫秀隆神号書出(たきの宮神主伊勢守)」〔天正19年6月〕、№2「御縁記(木曽大明神由緒書)」〔宝暦3年3月〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『北橘村誌』、P1109 県立文書館寄託 木曽義久家文書、ほか(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 2 勢多郡(2)』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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